『あいちトリエンナーレ』に思う

 報道等でご存知の通り、2019年8月1日より、愛知県美術館ギャラリーで企画展あいちトリエンナーレ2019「表現の不自由展・その後」が開催された。

 Wikipedia によれば、この作品展はその後と表題にあるように、2015年に民間のギャラリーで開催された「表現の不自由展」の続編である。当時、「慰安婦」問題・天皇と戦争・植民地支配・憲法9条・政権批判などのテーマを掲げ、公共の文化施設で展示不許可になった作品を展示していた。本年8月の本企画展では、それらの作品の「その後」に加え、2015年以降、新たに公立美術館などで展示不許可になった作品を展示していたとのこと。

 そういう意味では、今回遅まきながら炎上したとも言える。

 私は展示を直接みたわけではないが、報道やインターネットニュースなどで見聞するに、表現内容が、靖国、昭和天皇、特攻隊、慰安婦像、原爆、東日本大震災等のセンシティブな問題に、過激に踏み込んだものとなっているそうだ。

 表現の自由が守られなかった作品群ということで、「表現の不自由展」というタイトルなわけだ。大した問題提起だと感じたのも、私自身、表現の自由というものが他の権利とどのような場合にぶつかり、時に規制されるのかを調べてみる気にさせられたからだ。

 できれば規制するための法的根拠にめぐりあいたかったが、法律の専門家でもなければやむなしなのか、ついに見つけることができなかった。プライバシーの侵害、肖像権、公共の福祉、そういった法律・概念の保護の及ぶ範囲は、あくまで現代社会で生活をしている人、生じている事象を対象としている。

 愛知県知事の判断は、そういう専門家の法的な解釈と、表現の自由が脅かされていいのかという声に押されてのものではないかと推察する。

 その当否がどうであれ、やはり愛知県議会としては対応すべき部分があると思う。公的なお金の支出先として政治問題にもなった慰安婦像等を含む展示企画の内容が適当と考えるのか、県民の付託を受けて選出された県議会議員として、そのことを是非とも議論し結論を得て、予算の修正などの適切な措置を講じるべきではないかと考える。

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