教育勅語原本が見つかる

日付をまたいでしまいましたので一昨日のことになりますが、文科省で教育勅語の原本が見つかったとの報道がありました。職員も存在を認知していなかったとのことで、そのような状況このタイミングで教育勅語の原本が発見されるとはサムシング・グレートじゃないですけど、何かしら兆しのようなものではないかと思われずにはいられないのです。

私が学生だった頃には学校では自虐史観いっぱいの教科書で日本史の教育が行われていました。教科書上で教育勅語という単語を見かけることはありましたが、その詳細な内容について解説を受けることは一切ありませんでした。ただ、その単語がでてくる文脈からは、近代日本人を洗脳するために積極的に利用されたもので大変よくない書物であるといったイメージを植え付けられたように記憶しています。あの頃は「国」とか「君が代」という言葉を出すこと、あるいは天下国家について論じることが憚られる、あるいは恥ずかしいとする風潮が蔓延していました。今の私が思い返せばとんでもない話だということになるのですが、当時はたしかにそのような空気が実在していたのです。

ただ幸いにして、大学時代の紆余曲折を経て自身で近代史を学び直すことができました。雷に打たれたような感覚・・・そういう表現を本などでは見かけることはありますが、まさか自身で体感する日が来るとは思いもよりませんでした。不鮮明・不明瞭であった日本近代史が輪郭を持ち、未完のジグゾーパズルにピースがはまっていく感覚。私達が日常や習慣、周囲の環境から感じる日本の姿と、学び直すことによって得られた近代日本史がきれいに繋がった時、ついに私は私が何者であるかを知り、ああようやく日本人になれたのだなと実感することができたことを今でも鮮明に記憶しています。翻って、それでは実感を得る前の私は何者だったのかと問うたならば、戦後を出発点に持つ新・日本人ともいうべき人種に分類されるのが適当なのだと思います。

さて、余談が過ぎました。私が教育勅語をきちんと学ぶことができたのは伊藤哲夫著の『教育勅語の真実』を読んだことがきっかけでした。それ以前にも解説書などを読んだことはあったのですが、平易な現代語訳はそれ以上でもそれ以下でもなく、世間一般に見ても良いことが書いてあるな程度の認識でした。しかし伊藤氏の教育勅語の真実は、教育勅語がつくられなければならなかった当時の時代背景、起草者である井上毅がどのように考えて作文をしたのか等についてページを割くものでした。そう、よくよく考えてみれば偶然はなくすべては必然であり、日本の教育の柱となった教育勅語ともあれば、それ相応の社会的背景を持って書かれたことは当たり前であり、そんな当然のことに思いを致さなかった自身の愚かさを深く恥じたものでした。同様の観点で見れば、古事記や神皇正統記、さらに国体の本義等は、国難の下にあってすべて書かれるべくして書かれたもののはずで、その背景を学ぶことは私達をとりまく今日的課題の解決方法を考える上でこの上なく役立つものであることは疑いようがないのです。

兎にも角にも、教育勅語の内容の素晴らしさはもちろんのこと、その起草段階および社会的背景をみなさんに知ってもらいたい、知っていただかなくてはならないとの思いから、平成25年の6月定例会には一般質問で教育勅語を取り上げました。議会にいらしゃった方々はじめ、CATVで視聴中の方にはいくらか伝わったかもしれませんが、もっともっと多くの方に是非手にとって思いを共有していただきたいものです。皆様方におかれましては、高知と日本の未来のために、ぜひ『教育勅語の真実』をご一読くださいますようお願い申し上げます。

長くなりましたが、今回の教育勅語の原本が見つかったことが、今後の企画展示などに結びつき、多くの方に教育勅語に触れていただける機会に繋がるのではないかと大変期待するところです。