和歌

何事のおはしますかは知らねどもかたじけなさに涙こぼるる 西行法師

よもの海みなはらからと思ふ世になど波風のたちさわぐらむ 明治天皇

一つ目の歌は、西行法師が伊勢神宮を参拝した時に詠んだ歌です。特に難しい言い回しもありませんので、意味はおわかりになるかと思います。しかし歌の詠んだ情景、つまり西行法師の感動を追体験するためには、伊勢神宮に行った経験はもちろんのこと、多少なりとも伊勢神宮や神道、日本の歴史・文化について把握していなければなりません。

二つ目の歌は、明治天皇が日露戦争の折に詠まれ、昭和天皇が対米戦争決定の御前会議で奉唱されました。いわゆる御製と呼ばれるものです。「よも」とは「四方」のこと、「はらから」とは「兄弟」のことです。一つ目と同様に、なぜ日露戦争をしなければならなかったのか、もっと言うならばなぜ日本は近代化しなければならなかったのか、天皇・皇室とはなどについての理解が不可欠です。

どちらも私の好きな心に沁みる和歌です。

私は国語が苦手でして、子供の頃から和歌や詩というものをあまり理解しようとしていませんでした。古今和歌集などの古い作品が教科書に掲載されていれば、ああ、いつの時代にも風流なひとはいたもんだなぁと思った程度のことです。

しかし、いろいろ経験し勉強を重ね、実際に歌を詠むなどの経験を積むと見えてくるものがあります。歌を読むときには、心から余計な装飾をそぎ落とし、その時感じたもの、素直な感情をそのままに歌に詠みあげなければなりません。かっこ良くいい回そうなどとすると、絶対によいものには仕上がりません。まして相手の心に伝わるようなものにはならないでしょう。逆に言えば、きちんとルールを踏まえてこころのままに詠むことができたならば、わずか31字の文字であっても、自身の心象風景を相手にきちんと伝えることができます。私はここに日本語の、言霊の凄さを感じずにはいられません。さらに言えば、おおよそだれでも、31字の文字から詠手の言わんとする事を汲み取ることのできる日本人の文化的同質性?素養?にも感動いたします。

ことほどさようですので、子供のころに和歌を堪能できなかった理由は、国語云々だけが理由ではなく、教育において和歌が受験のための道具としてしか教えられなかったことも深く影響しているのではないかと思います。もう少し詳細な歴史や文化についての説明があって、さらには四季折々の感動に触れるなどの経験を重ねる機会があれば違ったのかなと。学校での和歌の取扱いにはもっと工夫の余地がありますね。

さらに、この和歌を詠む練習を重ねたならば、人格形成にも良い影響を与えるものと考えます。なぜならば、素晴らしい和歌が詠めるようになるということは、他者に想いをきちんと伝えられるようになるということですし、同時に相手の想いや心を汲むことのできる素地が整ったものと考えられるからです。

つい最近和歌の良さがわかるようになってきたにわか者が偉そうなことを長々と書いてしまいました。しかし、他者をきちんと思い遣ることのできる人が増えて、例えばいじめなどが減るならば良いではありませんか。これを機会に和歌の素晴らしさについて、頭の整理をしてみようかと思います。