自民党青年局海外研修@台湾

8 月19日から23日まで、総勢90名で台湾の視察研修を行いました。

書籍等で台湾のことは聞きかじっておりましたが、実際に現地に足を運んで見聞するのとでは情報量が全然違うと感じました。

通常、自民党では外交の窓口として国際局が置かれてい ますが、台湾だけは例外的に青年局が交流の窓口とのことです。これは、日中国交正常化にあたり日本が台湾を国として認めないとの判断に至った際に、台湾との関係維持を模索するべく当時の海部俊樹青年局長、小渕恵三青年部長が中国国民党内の青年組織「中国青年反共救国団」の蒋経国主任と会談し、自民党青年局と救国団を窓口として青年交流を活発化することで合意したことによるとのことです。このはじまりの経緯が、台湾視察内で遭遇するさまざまな疑問の原因でした。

◯訪問先

訪問先の選定は、日本にゆかりのある場所を前菜として、主に来年の台湾総統選挙を念頭に置いたものとなっていました。

蔡英文総統・・・台湾代表であり民進党の候補者

桃園市長・・・日本ゆかりの遺構を訪ねて

韓国瑜高雄市長・・・国民党の総裁選候補者

柯文哲台北市長・・・無所属の総裁選立候補予定者?

それぞれの場で、各々の代表者が挨拶を交わしました。挨拶において日本側がとりわけ重要視した点は、「日台の関係性の良好性」「台湾の輸入規制早期解除の要請」です。前者は言わずもがなですが、後者は東日本大震災の原発事故を受けて、台湾側が福島県産の農産物・海産物の輸入禁止措置をとっていることに対してその撤回を求めるものです。台湾の国内基準に照らしても輸入しても何ら差し支えないのですが、台湾の民意(規制の是非をめぐって国民投票が行われた)によって、政治的に規制が継続している状態にあります。

ゆかりのある地として訪問したのは、

桃園神社・・・日本統治下に作られた現存する数少ない神社

桃園大用水路・・・八田與一が計画に携わった用水路

蒋介石率いる中華民国の台湾上陸後、多くの日本統治の遺物が破壊される中、桃園市では慣れ親しんだ神社を保護維持しようとする市民運動が高まり、今日まで現存することができたそうです。鳥居は残念なことに一部破壊されてしまっています。本殿には現地の方の位牌と思しきものが並んいました。また、お祀り維持されている様子もなかったのでたぶん祈りを捧げるべき神様はいらっしゃらないのだろうと思いました。

桃園大用水路は、烏山頭ダムで有名な八田與一さんが関わったものだと、説明いただきました。

◯総統選候補者とのやり取りから感じたこと

さて、まず各総統候補者とのやり取りの感想ですが、佐々木青年局長の挨拶は、韓国瑜市長びいきのように感じました。公平な立場でそれぞれに頑張ってください、でいいような気もしたのですが実際にはもう少し踏み込んだ内容でした。冒頭紹介しました青年局と救国団の馴れ初め、そして救国団が国民党の関係機関であることを踏まえれば、納得しなければならない話なのかも知れません。

しかし私がいまいち腑に落ちなかったのは、一つの中国寄りの国民党と台湾独立維持の民進党では、日本の国益に照らして民進党に重きを置くべきではないのかとの私自身の認識が前提にあったからでした。シーレーンをはじめ安全保障の問題など、台湾が独立国であることにより、日本が得ている恩恵というものは大なるものがあると考えます。

◯経済界との交流から感じたこと

内省人(日本統治時代から台湾にいた人)と外省人(戦後、中華民国の一党とともに台湾に移住した人)の考え方は、台湾独立と一つの中国の考え方の差異として顕著に顕れるわけですが、経済界では一つの中国寄りの人が多いように感じました。どこの国もそうですが、経済人の多くは資本を神様として信奉しているようです。

彼らは、日本と中国の関係性が良い時は、日台のことに中国が口を挟まなくなるので、日台の懸案事項の協議がスムーズに進行し、課題が解決されるから、中国との良好な関係を願うと言います。なるほどとは思いましたが、そこまで中国に気をつかう従来の日本外交を情けなくも感じました。日台関係を前進させる関係法の制定が待たれるところです。

◯国の呼称に感すること

彼らの会話を注意深く聞いていると、台湾と中華民国の呼称を使い分けていることに気づきました。その後も観察を続けていると、台湾と呼んでいるのは民進党系あるいは内省人、中華民国と呼んでいるのは国民党系もしくは外省人なのではないかとの結論に至りました。こういった細部にも、国の置かれてる状況が見て取れます。

◯一般の方の親日について

現地の方、みなさん日本人には大変親切です。あるバスガイドさんは、祖父が東京帝国大学卒業後、台湾大学の先生をやっていたお話をご披露くださいました。さらに驚いたことには、どのくらい本気かわかりませんが、ぜひ日本に併合してくださいとまで言っていました。

◯総括

香港の一件以来、総統選の予備調査では、蔡英文総統が盛り返したとの調査結果が出ていますが、かなり拮抗しており予断の許さない状況にあるようです。ただ、時間が経つにつれてアイデンティティも変化してくのか、内省人外省人の境界も曖昧になっており、これに関連して台湾独立維持派が徐々に増えているようです。

また、経済的な中国依存度の高さを肌で感じました。

自民党青年局がなぜ韓国瑜寄りなのか、直近までもっとも総統に近い候補であったとともに、その遠因は青年局と救国団の話に尽きるわけです。大局的に見て、台湾独立維持派とも親睦を深めてはどうかと思う話は先程申し上げた通りですが、ある人が言うのには米国の大統領選挙の味が忘れられず二匹目のドジョウを狙っているのだとのことです。

つまり政府与党は、前回の米大統領選挙に際して、多くの人々が民主党候補の勝利を予測する中、トランプの勝利をいち早く予測し接近したことで、今日の日米関係の外交的成功の基盤を築けたのだから、この手法を台湾にも用いようと考えているのではないか、というお話です。しかし、香港のこともあって先行きが不透明化する総統選挙、一点買いではないと言える余地はあるものの、積極的にリスク買いしているなと感じました。

何が本当か確認の方法がありませんが、結果が成したことと成さなかったことを明らかにしてくれるはずです。外交のシビアな世界を垣間見た気分になりました。理想だけでは成立せず、現実的路線でありながらもリスクテイクする時はする。

台湾視察、大変勉強になりました。

台湾、八田與一像の頭部が切断される

非常な親日国であり、日本よりもかつての日本らしいと言われる台湾において非常に残念な事件が起きた。タイトルの通りだが本題に入る前に、前回の記事で触れながった部分について補足を行いたい。 彼を知り己を知れば百戦危うからず というが本当か?というわけで半島の某国家の軍事力について紹介する。 総兵力 約119万人うち陸上兵力102万人、さらにそのうち2/3はDMZ付近に展開 戦車 3500両 艦艇 780隻 10.4万トン 作戦機 560機 第3/4世代戦闘機 MiG-23×56 MiG29x18 Su-25×34 こんなこと書かれても比較するものがなければ多いのか少ないのか、強いのか弱いのかよくわからない。安心してください、肝心なのはここからです。 北朝鮮保有弾道ミサイル トクサ 射程120km 約100発 スカッドB/C/ER 射程300/500/1000km 数百発 ノドン 射程1300km 数百発 ムスダン 射程2500-4000km 50発以上 テポドン2派生型 射程10000km 弾数不明 KN-08 射程5500km以上 弾数不明 SLBM 射程不明 弾数不明 以上からわかることは、日本(1000km以上)を射程に収める弾道ミサイルが数百発あるということ。しかも、迎撃困難なロフテッド軌道をとるものや、固体燃料によって即座に発射できるもの、さらにはTELと呼ばれる移動式の発射台に搭載されているものもある。後ろ二つの要素は、地下基地からミサイルを出して、こちらに発見される前に発射させることが可能であることを示唆している。さらには潜水艦に搭載されたSLBMによって、海中から攻撃されるケースも想定される。 発射の兆候が掴みづらい弾道ミサイルを複数同時に発射することができるということは、飽和攻撃によってこちらのBMD体制を無力化することができることを示唆している。よく、イージスシステムとPAC-3を補完するためにTHAADを配備してBMD体制を強化せよという声を聞くが、一配備あたりのカバー範囲の狭さが念頭にないものと思われる。日本全土を守るとなると、とんでもないお金をかけてシステムを購入しなければならない。ならば向こうに撃たせなければよいと考えるのが合理的であろう。これは昨今話題となっている敵基地攻撃能力(策源地攻撃能力)の話と絡んでくるが、今日の本旨ではないので後日の記事に譲りたい。   ようやく本題に入ります。 新聞やニュースで目にした人もいるかもしれないが、台湾の八田與一像の頭部が何者かにより切り落とされ、持ち去られた。私は大変悲しむとともに憤りを覚えている。 http://www.sankei.com/world/news/170418/wor1704180042-n1.html 八田與一氏をご存知ない人のために、下記に簡単に紹介する。これを機会にしっていただきたい。 台湾の方々は非常に親日的であるが、特に高齢者のそれは我々を驚かせるほどのものがある。この国民感情は昨日今日醸成されたものではなく、かつての日本統治時代が蒋介石の戒厳令下の統治時代により相対化されたことで一層強固なものとなった。(戒厳令下の話を知りたい方は、 汝、ふたつの故国に殉ず ―台湾で「英雄」となったある日本人の物語― を読んでください。) 日本の統治前の台湾は、一次産業の生産性が低く、風土病等の蔓延する「瘴癘の島」であった。日本政府の方針により、内地と同等の政策の下、公衆衛生の向上、電力の導入、鉄道・道路網整備、利水、戸籍制度の導入、地籍調査、都市計画等が行われた。その劇的な台湾の変わりようは動画のほうがわかりやすいかもしれない。

当時の日本(内地)の課題の一つに、農作物の供給不足があったことから、台湾において農地の開墾を大々的に進める必要があった。しかし、台湾南西部に位置する最も大きな面積を誇る嘉南平野は、洪水と干ばつ、塩害の三重苦が支配する不毛の大地であった。総督府土木技師として台湾に赴任をした八田は、同平野に適切な灌漑工事を施すことで肥沃な農地とすることができると考える。その工事の内容は、世界でも数例しかないほどの規模を誇る巨大ダムを造り、そこから平野に縦横無尽に走る給排水路を引くというものだ。給水路の総延長は1万キロ、排水路は広いところで100メートル幅の総延長6000キロ、給排水路総延長合計1万6000キロというとてつもない規模である。そして給排水路には当然、給水・分水・放水門をはじめ暗渠や橋など様々な構造物が必要となる。また、嘉南平野を満たすためには、ダムの水だけでは十分でないことから、濁水渓から導水工事が行われた。八田の監督の下に行われた本事業費の総額は、今日の円換算で1兆円にのぼる。 工事は必ずしも順調ではなく、爆発事故によって50名もの死者を出したこともあった。最初の事故にしてあまりの被害の大きさから、八田は工事を断念することも考えたという。しかし、嘉南の地に住む台湾人作業員の遺族から、決して工事をやめることのないようにと嘆願され、続行を決心するのである。同平野の治水は、嘉南に住む人々にとっても数百年におよぶ悲願であった。 資金難に苦しんだ際には、八田は優秀な者から現場を去ってもらうこととした。優秀な人は他の仕事でもうまくやっていけるが、そうでないものは再就職は厳しいと考えたからだ。彼らに再就職先を斡旋するとともに、工事費が改めて調達できた際には、現場に戻ってこれるようとりなすことを約束した。そして約束を果たした。 その後、約10年の歳月をかけてすべての工事が完了する。人造湖を烏山頭ダム、ダムと給排水路を含めたこの一帯を嘉南大圳と命名する。 以後、八田は「嘉南大圳の父」として敬愛され、その死後も嘉南の人々にとって忘れがたい恩人となったのであった。 完成後間もないころ、八田の銅像をつくりたいとの申し出があった。熱烈な申し入れについに折れ、堅苦しくなくありのままの姿でという条件付きでこれを認めると、同地には作業服姿で腰をおろし、頭髪をひねる姿の八田像が設置されることとなった。 昭和十七年、フィリピンへ向かう八田は、乗船が米潜水艦に撃沈されたために東シナ海で帰らぬ人となった。妻・外代樹は、終戦直後の9月1日、子供たちを残して、夫のあとを追うようにダムに身投げをしたのだった。 現地人と銅像にまつわるエピソードがある。戦局の悪化にともない金属の供出がはじまると、なんとしても八田の像を守らなければならないと考えた現地の人々により像は隠された。それから時間のたつこと三十七年後の昭和56年、台湾政府の許可を得ることなく、再び同じ場所に台座をつけて像が設置されたのであった。 以上が八田氏と銅像のあらましであるが、再現ドラマ等があがっているようなので、興味のある方はyoutube等で検索されたし。 さて、その像の設置後73年後の今、心無い人の手によって無残に破壊されたのである。私たち人間は、偉人・先人の足跡をたどり、感銘を受け、かくあらんと目標にかかげ努力を重ねる中で、より良き今日と未来を作り上げていくものである。ゆえに、厳然たる事実に目を向けず、客観的視座を持つこともなく、軽挙妄動によってこれを蔑ろにするは、自らに唾する行為であると考える。今回は幸いにして犯人が捕まったようであるが、今後二度とこのようなことがないことを祈る。 最後に長文お付き合いくださいましてらいがとうございました。日台の鎹 (かすがい) である八田氏をこれからも顕彰したいと思うし、みなさんにも広くしっていただきたいと思う。