5月3日は何の日か?

今日は例年通り日本会議主催の日本国憲法について考える勉強会に参加。
過去、伊藤哲夫先生、百地章先生とそれぞれ大変刺激的なお話をいただいたわけですが、今回はさらに刺激的な口調と斬新な切り口でご講演くださいました、その講師の名は倉山満先生。

さて、今日は何の日かと聞かれれば、ちょっと気の利いた人ならば憲法記念日と答えるであろう。しかし倉山先生は違う。今日は5月3日なのでゴミの日であり、そのような日に悪臭漂うゴミのような日本国憲法をありがたく護持するやつらは最早病気なのだと言う。そのゴミのようなものを改憲したとしてもゴミはゴミなので断固受け入れられないとのこと。そもそも日本国憲法は、アメリカが日本を弱体化するために行った占領政策の一環の中で作られたものである。マッカーサーの落書きとも言えるようなもので、その前文の稚拙さは有名なもの、後生大事にするなど到底受け入れられるものではない。本来は改憲などではなく新憲法を制定(または旧帝国憲法からの改正)すべきだということだ。しかも先生に言わせれば、戦争でもおきない限り憲法改正させることはできないとのこと。その根拠は、日本国憲法にある誤植ですら今日までの間に直すことができなかったのだ、何をか言わんやとのことである。ぐうの音も出ない話である。

先生の言う誤植とは、日本国憲法第七条 四 国会議員の総選挙の施行を公示すること。の部分を指している。気づかれただろうか?総選挙をするのは衆議院だけであって、参議院は過半数の改選を3年毎に行うことになっているからおかしいと。二年くらい前に読んだ本にこの誤植のことについて書かれていた。マッカーサーよろしくGHQによって一週間で作られた憲法ですからね・・・情けないことに戦後の憲法学者はこの誤植をはじめ、日本語として不自由ですらある日本国憲法をあれこれ解釈することで運用している。倉山先生曰く、こんな誤植はさっさと直すべきなのにそれすらできていない。私が護憲派であればさっさとこの誤植を理由に憲法改正を行って、日本人の意志によって改憲されたということをもって名実ともに日本の憲法にしてしまうとのこと。ゴミはゴミからはじまり大変興味深い示唆である。戦後レジームからの脱却を目的に行う憲法改正が実のところ日本を半永久的に戦後レジームに閉じ込めてしまうのではないか、と問われればそうなのだろうと思う。自国の歴史と文化の勉強を重ねれば重ねるほど、大日本帝国憲法を知れば知るほどその思いは強まるばかりだ。ようするに保守を名乗りながらも改憲というスタンスをとる時点で、日本とはどういう国か、その国を守り残していくために憲法は、運用はどうあるべきか、ということに真に思いを致すことができていないのではないかということである。戦後の憲法と教育の洗礼を十分に受けた人々にそれができるのであろうか。氏が少なく見積もって20年かかると言ったが、昨今の流れを見ていると一世代くらいあれば間に合うのかもしれない。問題はそれまでに起こるであろう有事を乗り越え続けられるかどうか。

他にもたくさん興味深いことを言っていた
例えば昨今集団的自衛権が問題になっているがこれが問題になっていること自体がおかしいと言う。なぜならば戦後日本において、在日米軍基地というかたちで集団的自衛権は行使され続けているのだから。朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争といった代表的なものから、第二次世界大戦後アメリカが起こしたすべての戦争に日本は協力しているのである。ベトナム人民解放軍にとって、アメリカの兵站を支える在日米軍基地は脅威であり、その設置協力者である日本もまた敵である。裏で糸を引いているロシアが攻撃してこなかったのは僥倖と言うほかない。日本が国内的に集団的自衛権は行使していないと主張しても、外の世界ではまったく通らない話なのである。いや、あなた何度も行使してるでしょ、と・・・・

さて、書き続けているときりが無さそうなのでここらあたりでご容赦いただきたい。倉山先生のお話は大変勉強になった。ただ、あの会場に集まるような意識の高い人には問題ないのだが、何の予備知識のない人間には厳しいところがあるように思われる。そういった人々に対してどういう導入を設けるかが今後の課題、自分も勉強会を重ねてはいるがどうしても似たようなメンバーになりがちである。

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もう一冊おすすめ 伊藤哲夫先生
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