護国神社春季例大祭

選挙戦5日目です。

今日は途中で選挙カーを下車し、護国神社の春季例大祭に参加をいたしました。私にとって欠かすことのない年間行事です。

昨日の宵闇祭では、殉職された自衛隊員10余柱の御霊が合祀され、戊辰東征以来の四万一千七百余柱の御霊がお祀りされることとなりました。

本日の大祭、祝詞奏上では、別役宮司の想いのこもった声と祝詞文に絆されてか、御英霊に哀悼の誠を捧げつつ、涙をしてしまいました。

先人たちの御労苦、護国や家族のために散華された御英霊の貴い犠牲、そういったものの上に今日の日本があります。

自身も微力ではありますが、御英霊の顕彰はもちろんのこと、日本をきちんと次世代にバトンするために出来うる限りのことをする責務があると、改めて決意を新たに致しました。

引き続き選挙戦頑張って参ります。

西内たかずみへの支援の輪をお拡げくださいますようお願い致します。

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護国神社-秋季例大祭

今年も参列してまいりました、護国神社の秋季例大祭。

すでにご存知かもしれませんが、こちらの神社には、戊辰東征で没した105柱をはじめ、
日清、日露、大東亜戦争で祖国のために散華された御英霊を含めて、4万1千7百余柱がお祀りされています。御英霊の御霊安らかならんことお祈り申し上げます。

今年は天皇皇后両陛下の行幸啓がございました。

その際、陛下より旧官幣社である土佐神社、護国神社、山内神社には、幣帛料がご下賜されました。古くは、幣帛といいまして、実際に帛、つまり絹の布がご下賜されていたとのことです。いまでも伊勢神宮から下賜される幣帛は料ではなく、その名の通り絹の現物だそうです。

肝心の幣帛関係の写真がなくてごめんなさい。
かわりに護国神社のサイドからのショットを一枚。

5月27日海洋会慰霊祭

いまさらながらといいますか、記事にしようと思いつつも手を付けられなかった海洋会慰霊祭について。

海洋会とは旧帝国海軍時代の戦死者、出身者の物故者の顕彰、慰霊を目的に作られた組織とお聞きしております。偕行会はその旧帝国陸軍版です。

5月27日、護国神社の境内に設けられた慰霊塔前にて、旧海軍出身者を交えて、慰霊祭が厳かに催行されました。

その日は、生憎と関係イベントが重なっていたため、普段よく目にするメンバーを会場にてお見かけできず。参加者は15名程度で、海軍出身者は皆旧軍の制服を着用しておりました。

会場のBGMとして日本海軍喇叭(ラッパ)の解説集がながされていました。たくさんの演奏パターンがあって、初めて聞いた人には違いがわかりそうもありません。さすが出身者と言うべきか、そのラッパ音を聞きながら、それぞれの人が太平洋上での思い出話に花を咲かせておりました。

印象深かったお話の一つ。

大型艦に搭載された水上偵察機は、限られた甲板面積の中で運用するために蒸気カタパルトによる射出が行われていました。着水はどのように行われるのか?フロートを付けているでしょうから、水面に突き刺さることもなく、また弾かれることもない絶妙な進入角度と速度でもって滑るように着水するのだろうと推測されます。

出席者によれば、波の多少のうねりも着水には大敵とのこと。よく偵察機が沈没してしまうことがあったとのことでした。そこで波対策として艦を旋回させ同心円を描きます。するとその円の内側は波が静まり返るとのこと。偵察機のパイロットはその技量を尽くし波の影響の低い円の内側に着水するよう操縦します。

仰っている意味はわかるのですが、波を強制的に凪の状態に持ち込んで、その狭い範囲に偵察機をピンポイントで着水させるといった曲芸的な響きを帯びた話は、自身の目で見てみないと俄には信じがたいものがありますね。

さてお話をもとに戻しますと、この5月27日は慰霊祭の日であるとともに、海洋会会長古谷俊夫さん(今回で引退)の誕生日でした。偶然とはいえすごいことですね。そしてかつて、ロシアのバルチック艦隊を撃破した日を記念して制定された海軍記念日でした。

今年の5月27日は過ぎ去ってしまいましたが、また来年この日を迎えるに際しては、この国を護るために力を尽くした方々に思いを致し、感謝と哀悼の誠を捧げていただきたくお願い申し上げます。

護国神社-春季大祭

私の恒例行事がやってまいりました。護国神社春季大祭への参加です。
「わたしの」などと書いてしまいましたが、限定する方がむしろおかしい。公職にある方は当然として、できるだけ多くの県民にご参加いただきたいと切にお願い申し上げます。

今年で戦後70年になりますが、遺族会のみなさまも高齢化がすすみ、世代はすでに子や孫にうつっているそうです。世代がかわればどうしても感心が遠のいてしまい、遺族会の数は減少するばかり。護国神社は遺族会のメンバーを中心とした崇敬神社でありますから、資金面で大変ご苦労されているようにお伺いしております。日本を守るために散華された英霊の御霊を祀る本神社が、存続できなくなるようなことはあってはなりません。他県には護国神社奉賛を目的とした公益財団法人を設立しているところもあるとのことですから、目下の課題を片付けましたら、これらを参考に打開策を考えてみたいと思います。

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今年の春季大祭は例年にない厳粛さがあったように思います。司会の新川さんのがんばりをはじめとして、別役宮司の素晴らしい祝詞奏上。耳を傾けているうちに、若くして命を落とされた方々への哀悼、彼らの遺志を十分に継ぐことができていないことへの申し訳無さなど、様々な思いが去来し、気がつけば磬折(けいせつ)の最中に床に涙をこぼしていたのでありました。しかし普段と何かが違うという感覚、きっと私以外にも共有されていらっしゃる方がいたと思います。献幣使の祭文奏上は、言葉と言葉の間の絶妙な加減によって、私の耳を捉えて離しません。言霊の力に魅せられたとでも言うべきでしょうか。市長代理の副市長の追悼の辞も、後半感極まって言葉にかすかな震えがあったように思います。さらに祭典中は、拝殿のあまりの静謐さゆえに、山の下を走る車の音が騒々しく聞こえたほどです。
なんと形容すればよいか、英霊を追悼するにふさわしく、場が整っている感じがしたと言うのが適当か。

祭典を一通り終えると、まるで申し合わせたかのように雨が降り始めました。雨に打たれて舞い散る桜も美しく、参列くださった方々に応えているかのようでした。大東亜戦争敗戦から70年の節目ということも心情に影響を及ぼしているのかもしれませんね・・・

今春も本祭典に参列させていただき、つつがなく終えることができましたことを大変嬉しく思います。国のために尊い犠牲となられたご英霊の御霊に、尊崇の念をもって慎んで哀悼の誠をささげます。

敗戦の日

昨日は五台山護国神社 献水の儀に参加して参りました。神社では高知出身あるいは高知に縁故を持ち、戊辰戦争以来の国難に殉じられた四万一千四百四十四柱のご英霊をお祀りしています。

10時に厳かに祭典が始まり、ご遺族の方々による献水も恙無く行われ、11:30ごろにはすべての儀式が遅滞なく終了しました。

祭典の途中には天上の甕でもひっくり返したかの様な豪雨がありましたが、祭典が終わりに近づくにつれて雨足は弱まり、最後にはすっかり上がってしまいました。

祭典の終わりに別役宮司から挨拶がありました。雨のことにも触れられて、今日の日に天と地を結ぶもの、実りと豊かさをもたらすもの、その架け橋である雨が降ったことに神意を感じると述べられておりました。

さらに、昭和19年に護国神社を参拝した学生の感想文が神社並びに国会図書館に現存しているというお話がありました。その年に県下の学生たちが靖国神社に集団参拝をする計画がありましたが、時局がそれを許さず代わりに護国神社を訪ったとのこと。付近の家々には提灯が掲げられ、それは盛大に執り行われたそうです。そのときの学生の感想文がまた立派なそうで、みなさんに是非読んでもらいたいとのことでした。

感想文はその日は社殿に置かれているとのことでしたので、改めて拝読しに参ります旨、宮司にお伝えいたしました。

お陰様で今日がありますこと、改めて先人に感謝。よりよい日本と高知に次代につなぐべく頑張って参ります。

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