戦没者を追悼し平和を祈念する日、靖国参拝

 世間一般では『終戦の日』とのことですが、正確には昭和57年4月13日閣議決定により『戦没者を追悼し平和を祈念する日』なのだそうです。終戦の日とぼかすくらいなら、連合国に負けたのだから『敗戦の日』とするのが適当だと常々思っております。

さて、今日は例年通り靖国神社の献水の儀に参加いたしました。台風の中にもかかわらず、いつものメンバーが参拝にいらっしゃってました。ご英霊の御霊の安らかならんことをご祈念申し上げます。

 今年も安倍総理は靖国神社参拝できませんでした。保守陣営からは残念に思われている点です。しかし安倍総理ですら、靖国神社参拝ができなくなってしまうほどに、中国はじめ近隣諸国による情報戦が効果を上げていたのだと、事の本質を理解しなければなりません。

 安倍総理による最後の参拝は、2013年の12月26日でした。参拝に際しては慎重を期して、衛藤補佐官があらかじめ渡米し、アメリカの要人に靖国参拝してもよいかということを事前に確認していたそうです。満を持しての参拝のはずでしたが、アメリカ国務省から失望メッセージが表されたほか、近隣諸国は言うまでもなく、ヨーロッパやオーストラリアなど多くの国で、歴史修正主義者だとか軍国主義の復活などと散々な評価がなされました。それほどまでに中国をはじめとする近隣諸国の情報戦が成果を上げていたわけです。

 国内では、時間の経過とともにこの事件は風化してしまいましたが、国際政治の現場ではそうはいきません。覇権主義を隠さず膨張し続ける中国と渡り合うためには国際社会の協力が不可欠です。国際社会の信頼を回復すること、特に、民主党政権下で悪化していたアメリカとの関係改善は急務でした。

 まずは、近隣諸国との情報戦、例えば『いわゆる従軍慰安婦問題』、世界の記憶遺産問題(慰安婦問題資料等の登録)に対して、逐次有効な反撃・反論をする体制の構築に注力しました。そのかいあってか、記憶遺産の制度の見直しが始まりました。慰安婦も韓国は別にして、国際社会的には終わった問題となりました。徴用工問題については進行形ですので皆様ご存じのとおりです。言いがかりにはきちんと反論しなければなりません。戦前の日本もできてなかったことがここ最近、ようやくできるようになりました。

 情報戦だけでなく、長期安定政権だからできる仕事を国際社会でも見事にこなし、世界の国々から頼られる国となりました。アメリカのトランプ大統領とも関係は良好のようです。この積み立てをもとに、国際社会における日本のかじ取りを優位に進めていかねばなりません。

 これから先、首相が靖国神社を堂々と参拝できるためには2つのことが達成されなければならないと考えます。一つは、大国(たぶんアメリカ)のトップが靖国神社を参拝すること。その前提としての2つ目は、国内的に靖国神社に対する評価が固まること。いわゆる戦後レジームからの脱却というやつです。一丁目一番地の憲法改正もままならない現在、目的地は遥か彼方のように感じられます。

靖国神社宮司発言からの・・・

遅れ馳せながら、世間を騒がせた靖国神社宮司発言についてコメント。

詳細については、コチラ(産経ニュース) を参照いただきたい。

宮司発言の引用

「陛下が一生懸命、慰霊の旅をすればするほど靖国神社は遠ざかっていくんだよ。そう思わん? どこを慰霊の旅で訪れようが、そこには御霊はないだろう? 遺骨はあっても。違う? そういうことを真剣に議論し、結論をもち、発表をすることが重要やと言ってるの。はっきり言えば、今上陛下は靖国神社を潰そうとしてるんだよ。わかるか?」

「(今上天皇が)御在位中に一度も親拝なさらなかったら、今の皇太子さんが新帝に就かれて参拝されるか? 新しく皇后になる彼女は神社神道大嫌いだよ。来るか?皇太子さまはそれに輪をかけてきますよ。どういうふうになるのか僕も予測できない。少なくとも温かくなることはない。靖国さんに対して」

まず、靖国神社宮司の発言として許容されるものではない。このことはまず明らかにしておきたい。辞任は当然のことであろう。

次に、今上陛下在位中についに御親拝が実現できなかった(できないだろう)ことは、将来の御親拝の実現の可能性も含めて考えた場合、大変憂慮すべき事態である。この点については宮司に共感できる。近い将来に政治的に解決すべき問題であると認識している。

以上、大まかではあるが本問題に関する私の所感である。

しかし、私が書く以上、話をこれだけで済ませるつもりはない。この問題に関連して識者と言われている人々の記事を読むと、とんでもないミスリードを狙った記事が散見される。あまりにもひどいので反論しておきたい。これが本旨である。

左派系と目される人々が言うのには、富田メモを引き合いに出して、昭和天皇は、1978年にA級戦犯が靖国神社に合祀されたから御親拝をやめられたし、今上陛下もそのことを気にされて御親拝されないのだそうだ。これこそ天皇陛下の名を借りた靖国神社解体行為であり、とどのつまり国家破壊行為と言うべきであろう。許すまじ。

まずA・B・C級戦犯のくくりの勉強からしっかりやり直してほしい。大東亜戦争後の軍事裁判において、勝者によって勝者の言うところの戦争犯罪者を、それぞれ罪の種類に分けて裁いたものだ。法の不遡及を犯したケースもあり、そもそも極東軍事裁判など政治ショーにすぎないと指摘する声もある。サンフランシスコ講和条約(関連議論)を締結した以上、判決の是非ついての議論を控えたとしても、1953年衆議院において、「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」が共産党を含む全会一致で可決され、国内的にはABC問わず全面赦免されている。当時の国民も政治家もこれを歓迎しており、その事実ひとつを取っても件の軍事裁判が我が国においてどのように捉えられていたかよくわかる。

この大前提がわかっていたら、「A級がどうだから・・・」といって昭和天皇が、英霊の眠る靖国神社への御親拝を控えられるわけがないとの結論に至るはずだ。

富田メモ?そんなもの私だって書ける(笑)

もう一つ。時系列で当時起きた出来事を追いかけて考えても、御親拝とりやめの理由が別にあることがわかる。

最初に靖国神社を参拝した総理大臣は三木武夫首相(1975年夏)である。この際に、私的参拝4条件(公用車不使用、玉串料を私費で支出、肩書きを付けない、公職者を随行させない)を掲げ、「私人」としての参拝を行った。

このことが天皇陛下の御親拝に飛び火したと考えるのが順当であろう。日本国憲法上、天皇陛下はどのような場合も公人である。さらに公職者(警備)を随行させない御親拝などできうるはずもない。事実、同年の秋、8度目を最後に、靖国神社の御親拝を控えられている。(その後は勅使を遣わされています)

それから3年後の1978年にA級戦犯が合祀され、1979年4月に報道によってその事実が明るみとなった。御親拝を控えられてから3年経過していることを考えれば、合祀と取り止めの理由が関係しているとするのは無理があろう。

A級合祀が・・・などと虚妄記事を垂れ流すのは即刻止めていただきたい。

靖国神社秋季例大祭

昨晩は激しい雨が降りました。どうなることやらと心配もいたしましたか、なるべくしてとでも言うべきでしょうか、今朝方にはすっかり青空がのぞくのでした。

靖国神社秋季例大祭に参りました。祖国の礎となられました御英霊に対しまして衷心より哀悼の誠を捧げました。