NEDOの燃料電池

8月21-23日にかけて二箇所の県外視察を行いました。

一箇所は自衛隊関係、富士総合火力演習です。もう一箇所が私的に気になる燃料電池の将来性についでした。

燃料電池については NEDO:独立行政法人 新エネルギー・産業技術総合開発機構を訪問し、最新の取り組みについて様々な意見交換を行いました。

さて、なぜいま燃料電池なのかについて説明申し上げます。

まず、燃料電池とはイオン交換膜と白金触媒を用いて水素と酸素と結合させて水および電子、つまり電力を発生させるものです。昨今ではこの原理を活用した燃料電池自動車が盛んに報道等に取り沙汰されています。しかしここで燃料電池自動車の可能性を検討するにあたり電気自動車と差異があるのか、上回るメリットがあるのかという点がきにかかります。どちらも電気によってモーターを駆動させているという点では共通しています。しかし、乗り物として重視される要素、航続距離をみると現行の電気自動車の航続距離は200kmであり、ここに登坂などの走行条件が加わればさらにら航続距離を減らさざるを得ません。一方燃料電池はガソリン車と同等の航続距離を誇り、水素補充も比較的容易です。また、燃料となる水素は、産業活動のさまざまなシーンで発生していますが、現在ほとんどの水素が未利用資源のまま遺棄されています。そういったことで、電気自動車の売り上げはさほど芳しくない中で、電気自動車に改めて注目が集まっているとのことです。

しかし水素といえば、爆発するなどの危ないイメージが強いですが実際のところどうなんでしょうか。実は取扱の安全面においても、ガソリンや天然ガスと比較して、気体という特性上散逸しやすく連続して燃焼しにくいとの試験結果が出ています。

課題がないのかといえばそうてわはなくて、もっとも基本的な問題として、供給のためのインフラが未整備で、またその整備費用もガソリンと比較して数倍割高になることが挙げられます。しかし、この問題も現行規制が水素を燃料として利用する観点がなかったことに起因する法の不備や、不必要に高い取扱いのハードルを今後の法改正をすすめることによって改善されることが期待されます。
もう一点は、水素燃料に対する国民の理解の問題があげられます。安全性についてはさまざまな角度から検証が行われているわけですが、その結果がインフラ施設の建設候補地周辺の住民に理解され、受け入れられる必要があり、そのために今後は継続的なリスクコミュニケーションが不可欠となるでしょう。

そのほか私が個人的に気になっている点について触れますと、二次電池として利用できるか否かという点です。自動車に搭載されている現行の燃料電池にはそういった機能はなく、今日では技術的に難しいとのことです。またエネルギー変換効率の点からも望ましいとは言えないでしょう。電気自動車が今後アドバンテージをとるとしたら二次電池的利用面なのではないでしょうか。電気自動車の電池の大容量化に成功すれば、非常時の電源として、あるいは不安定な再生可能エネルギーの蓄電池として利用できる可能性があります。

(当面二次電池的な活用はないとして、)こういったことから私なりに考える燃料電池の今後の展望としては、自動車にこだわることなくエネルギー資源として活用していくべしです。エネファームなどは都市ガスを改質して水素を発生させ発電を行っていますが、ある程度のまとまった生産量と供給インフラが整備できたならば、水素を燃料としてそのまま供給し、都市の基本的なエネルギーとして利用できるとの見方もあります。(この場合は電池という表現は適切ではないかもしれませんね。)

兎も角も、エネルギー資源の極めて少ない日本にとって、未利用エネルギー資源の有効活用は国家安全保障上も重要な取り組みです。たとえ現時点でコスト的に見合わなくてもオプションを残しておくことも大切ですね。水素と燃料電池の今後の活躍に期待!

お盆

故郷の吾北に帰り、ご先祖様に挨拶をして参りました。
お盆といえば、自分が子供の頃には川や海へ近づくな入るなと教えられたものですが、核家族化の進行や勤務形態の変化によって家でご先祖を迎えるということをしなくなった今日においては、全くタブー視されていないようです。

親孝行は孫のため という言葉を聞いたことがあります。お盆の先祖供養もそうですが、もうすこし縦の時間軸の結びつきを大切にできる社会にしなければならないと思います。教育、制度設計、勤務形態いろいろアプローチはあるでしょうけれども、行政が福祉を抱えきれなくなりつつある今日においては、自然と復元力が働くのだろうとも思います。
下八川

お白石持ち行事ご奉仕を終えて

かつて西行法師は、伊勢神宮を訪ね次の歌を残されました。

『何ごとの おわしますかは知らねども かたじけなさに涙こぼるる』

伊勢神宮を訪ねられた人の多くが抱くであろう感覚を見事に詠みあげています。
私は二回目の伊勢訪問ではありましたが、伊勢神宮の素晴らしさは全く色褪せることはありませんでした。

下記の写真は、第62回伊勢神宮遷宮お白石持ち行事にて奉曳車の牽引をしているところです。

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私も同じ姿格好をして麻縄を手に、掛け声と共に街を練り歩きました。
そのあと境内で身を清めた後に、これまた丹念に清められたお白石を受け取ります。布で包み込むように持ち、厳粛に参道を進みます。
天照大御神がお遷りになられる新宮はすでに完成しておりますので、その周囲の好きな場所にお白石を願い事と共に据えます。

この儀式が持統天皇4年の西暦690年から20年ごとに、ほぼその様式を変えることなく脈々と受け継がれ繰り返されていることに深く感銘いたしました。二十年後も必ず参加したいと思います。次回参加ご希望の方は19年後の年初に私までご連絡くださいませ。

某先輩議員から渡された「三島由紀夫の総合研究」なる資料を帰りのバスの中で読みました。
その中の論考 三島由紀夫著 英霊の聲 にいたく琴線に触れる文面がありましたので紹介いたします。
「またこの『神風特別攻撃隊』の末尾には実際に特攻隊として出撃散華した英霊の多くの遺書が紹介され……(中略)……山口少尉の遺書には、前半部分で為政者に対する批判の言葉が並んでいるが、結局山口少尉はこう結論づける。

しかし私は国体を信じ愛し美しいものと思うがゆえに、政治家や統帥の輔弼者たちの命を奉じます。じつに日本の国体は美しいものです。古典そのものよりも、神代の有無よりも、私はそれを信じてきた祖先たちの純真そのものの歴史のすがたを愛します。美しいと思います。国体とは祖先たちの一番美しかったものの蓄積です。実在では、我が国民の最善至高なるものが皇室だと信じます。私はその美しく尊いものを、身をもって守ることを光栄としなければなりません。

そして出撃前の山口少尉の辞世は、
『名をも身をもさらに惜しまずもののふは 守り果さむ大和島根を』
である。山口少尉はそのとき二十三歳であった。」

私が伊勢神宮のご奉仕を通して触れたものも、政治家として守り通そうとしているものもこの国体に他なりません。

伊勢神宮お白石持ち行事参加

昨日よりフェリーとバスを乗り継いで、明日のお白石持ち行事参加のために伊勢神宮に向けて移動中です。

約2000年の歴史を誇る伊勢神宮には、太陽を神格化した天照大御神が祀られています。天照大御神は天皇陛下のご先祖さまであらせられるとともに我々日本民族の総氏神さまです。そのご在所である伊勢神宮では天武天皇が定めてより持統天皇の690年の第一回から今回の62回まで、20年に一度の頻度で内宮の建て替えを行っています。
普段は入ることのできない内宮ですが、建て替えのこのときだけは特別神領民として中に入り、お白石を内宮に敷き詰めることができます。
この20年に一度の遷宮制度を通じて、人々は神の常若を祈るとともに、この国の心を、姿をそれぞれの時代の中に問い、確信し、千代八千代の弥栄を願うものであり、その根底にあるものは、自然、つまり八百万の神々とともに人として生かされていることの感謝を行います。
一年前から高知県神社庁に申し込みを行い、幸運にも今回の式年遷宮には参加することが許されました。祖先の皆様方がつぶさに見て感じてきた日本の姿、心をわたくしもしっかりと感じてきたいと思います。行ってまいります。

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