韓国の法則発動について:慰安婦編

岸田外相のもと行われた平成27年暮れの慰安婦合意について、私見を述べた記事があったことを思い出した。

いわゆる慰安婦合意について(平成28年1月1日)

いま読み返してみると大変読み辛い(笑)
さんざんな文章ではあるが、結論の部分を見るに、韓国の未来(現在)を正確に予測できているように思われる。

かの国の法則が予定通り発動しただけとすれば、予測できたと喜ぶのは手前味噌が過ぎるというものか。

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謹賀新年

新年明けましておめでとうございます。
久しぶりの更新にて、ご無沙汰を深くお詫び申し上げます。

今年も例年の如く、高知城にて日の丸の会による国旗掲揚行事に参加。のちに土佐神社の歳旦祭に参加をいたしました。

清々しい青空一杯の正月で、このような一年であって欲しいと願うばかりですが、現実はそうではないようです。

特に国家安全保障上の不安定度は、第二次大戦以降で言えば最も高い状態にあると言われております。

その懸念を裏付けるかのように、防衛大綱の刷新が提起されたり、自衛隊の新装備に関する報道をよく目にするようになりました。

軍事技術の発展やその実用化、作戦への応用は、数年、ながければ十数年のスパンを要するわけですから、私からすれば遅くじれったく感じるわけですが、今更不満を申しても仕方がないですね。

これからは、日本の潜在敵が有する軍事技術、軍事力を前に、日本の国民と国土を守るためにどの程度の備えが必要か、そのために何を優先し何を我慢しなければならないかについて、政治がそのあらかたにつき、国民に対して説明を行い、理解と協力が得られるよう努めなければなりません。

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台湾、八田與一像の頭部が切断される

非常な親日国であり、日本よりもかつての日本らしいと言われる台湾において非常に残念な事件が起きた。タイトルの通りだが本題に入る前に、前回の記事で触れながった部分について補足を行いたい。 彼を知り己を知れば百戦危うからず というが本当か?というわけで半島の某国家の軍事力について紹介する。 総兵力 約119万人うち陸上兵力102万人、さらにそのうち2/3はDMZ付近に展開 戦車 3500両 艦艇 780隻 10.4万トン 作戦機 560機 第3/4世代戦闘機 MiG-23×56 MiG29x18 Su-25×34 こんなこと書かれても比較するものがなければ多いのか少ないのか、強いのか弱いのかよくわからない。安心してください、肝心なのはここからです。 北朝鮮保有弾道ミサイル トクサ 射程120km 約100発 スカッドB/C/ER 射程300/500/1000km 数百発 ノドン 射程1300km 数百発 ムスダン 射程2500-4000km 50発以上 テポドン2派生型 射程10000km 弾数不明 KN-08 射程5500km以上 弾数不明 SLBM 射程不明 弾数不明 以上からわかることは、日本(1000km以上)を射程に収める弾道ミサイルが数百発あるということ。しかも、迎撃困難なロフテッド軌道をとるものや、固体燃料によって即座に発射できるもの、さらにはTELと呼ばれる移動式の発射台に搭載されているものもある。後ろ二つの要素は、地下基地からミサイルを出して、こちらに発見される前に発射させることが可能であることを示唆している。さらには潜水艦に搭載されたSLBMによって、海中から攻撃されるケースも想定される。 発射の兆候が掴みづらい弾道ミサイルを複数同時に発射することができるということは、飽和攻撃によってこちらのBMD体制を無力化することができることを示唆している。よく、イージスシステムとPAC-3を補完するためにTHAADを配備してBMD体制を強化せよという声を聞くが、一配備あたりのカバー範囲の狭さが念頭にないものと思われる。日本全土を守るとなると、とんでもないお金をかけてシステムを購入しなければならない。ならば向こうに撃たせなければよいと考えるのが合理的であろう。これは昨今話題となっている敵基地攻撃能力(策源地攻撃能力)の話と絡んでくるが、今日の本旨ではないので後日の記事に譲りたい。   ようやく本題に入ります。 新聞やニュースで目にした人もいるかもしれないが、台湾の八田與一像の頭部が何者かにより切り落とされ、持ち去られた。私は大変悲しむとともに憤りを覚えている。 http://www.sankei.com/world/news/170418/wor1704180042-n1.html 八田與一氏をご存知ない人のために、下記に簡単に紹介する。これを機会にしっていただきたい。 台湾の方々は非常に親日的であるが、特に高齢者のそれは我々を驚かせるほどのものがある。この国民感情は昨日今日醸成されたものではなく、かつての日本統治時代が蒋介石の戒厳令下の統治時代により相対化されたことで一層強固なものとなった。(戒厳令下の話を知りたい方は、 汝、ふたつの故国に殉ず ―台湾で「英雄」となったある日本人の物語― を読んでください。) 日本の統治前の台湾は、一次産業の生産性が低く、風土病等の蔓延する「瘴癘の島」であった。日本政府の方針により、内地と同等の政策の下、公衆衛生の向上、電力の導入、鉄道・道路網整備、利水、戸籍制度の導入、地籍調査、都市計画等が行われた。その劇的な台湾の変わりようは動画のほうがわかりやすいかもしれない。当時の日本(内地)の課題の一つに、農作物の供給不足があったことから、台湾において農地の開墾を大々的に進める必要があった。しかし、台湾南西部に位置する最も大きな面積を誇る嘉南平野は、洪水と干ばつ、塩害の三重苦が支配する不毛の大地であった。総督府土木技師として台湾に赴任をした八田は、同平野に適切な灌漑工事を施すことで肥沃な農地とすることができると考える。その工事の内容は、世界でも数例しかないほどの規模を誇る巨大ダムを造り、そこから平野に縦横無尽に走る給排水路を引くというものだ。給水路の総延長は1万キロ、排水路は広いところで100メートル幅の総延長6000キロ、給排水路総延長合計1万6000キロというとてつもない規模である。そして給排水路には当然、給水・分水・放水門をはじめ暗渠や橋など様々な構造物が必要となる。また、嘉南平野を満たすためには、ダムの水だけでは十分でないことから、濁水渓から導水工事が行われた。八田の監督の下に行われた本事業費の総額は、今日の円換算で1兆円にのぼる。 工事は必ずしも順調ではなく、爆発事故によって50名もの死者を出したこともあった。最初の事故にしてあまりの被害の大きさから、八田は工事を断念することも考えたという。しかし、嘉南の地に住む台湾人作業員の遺族から、決して工事をやめることのないようにと嘆願され、続行を決心するのである。同平野の治水は、嘉南に住む人々にとっても数百年におよぶ悲願であった。 資金難に苦しんだ際には、八田は優秀な者から現場を去ってもらうこととした。優秀な人は他の仕事でもうまくやっていけるが、そうでないものは再就職は厳しいと考えたからだ。彼らに再就職先を斡旋するとともに、工事費が改めて調達できた際には、現場に戻ってこれるようとりなすことを約束した。そして約束を果たした。 その後、約10年の歳月をかけてすべての工事が完了する。人造湖を烏山頭ダム、ダムと給排水路を含めたこの一帯を嘉南大圳と命名する。 以後、八田は「嘉南大圳の父」として敬愛され、その死後も嘉南の人々にとって忘れがたい恩人となったのであった。 完成後間もないころ、八田の銅像をつくりたいとの申し出があった。熱烈な申し入れについに折れ、堅苦しくなくありのままの姿でという条件付きでこれを認めると、同地には作業服姿で腰をおろし、頭髪をひねる姿の八田像が設置されることとなった。 昭和十七年、フィリピンへ向かう八田は、乗船が米潜水艦に撃沈されたために東シナ海で帰らぬ人となった。妻・外代樹は、終戦直後の9月1日、子供たちを残して、夫のあとを追うようにダムに身投げをしたのだった。 現地人と銅像にまつわるエピソードがある。戦局の悪化にともない金属の供出がはじまると、なんとしても八田の像を守らなければならないと考えた現地の人々により像は隠された。それから時間のたつこと三十七年後の昭和56年、台湾政府の許可を得ることなく、再び同じ場所に台座をつけて像が設置されたのであった。 以上が八田氏と銅像のあらましであるが、再現ドラマ等があがっているようなので、興味のある方はyoutube等で検索されたし。 さて、その像の設置後73年後の今、心無い人の手によって無残に破壊されたのである。私たち人間は、偉人・先人の足跡をたどり、感銘を受け、かくあらんと目標にかかげ努力を重ねる中で、より良き今日と未来を作り上げていくものである。ゆえに、厳然たる事実に目を向けず、客観的視座を持つこともなく、軽挙妄動によってこれを蔑ろにするは、自らに唾する行為であると考える。今回は幸いにして犯人が捕まったようであるが、今後二度とこのようなことがないことを祈る。 最後に長文お付き合いくださいましてらいがとうございました。日台の鎹 (かすがい) である八田氏をこれからも顕彰したいと思うし、みなさんにも広くしっていただきたいと思う。

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今そこにある危機

北朝鮮の暴走によって、日本は危機的状況に追い込まれつつある。

日本のおかれている状況について比較的詳しく記事を書いているのは産経新聞だと思う。熱心な読者にはおさらいになるが、北朝鮮の暴走によって浮き彫りになった日本の問題について書く。

まず、アメリカと半島国家の間で起ころうとしている戦争に、我が国が巻き込まれようとしていると、多くの日本人が考えている点を挙げたい。
いやそうではなく、我々は当事者国なのだ。17日の産経朝刊だったか、日清戦争にいたる経緯について簡潔にまとめられていた。当時の日本の為政者は、地政学的観点から朝鮮半島を日本の利益線の内側に位置付けていたが、それは朝鮮半島が不安定化すれば日本海を挟んで隣接する日本の安全は揺らいでしまうから何とかしなければならないと考えたからである。安定化のための介入の結果起きたのが日清戦争であり、日露戦争である。
いまの北朝鮮の問題と何が変わろうか。核搭載ICBMの開発に成功すれば、極東におけるアメリカの軍事力プレゼンスは低下する。北朝鮮は、軍事力を背景にその時日本に何を要求するのだろうか、想像するのも恐ろしい。
朝鮮半島有事は、我が国の有事でもある。

北朝鮮の様々な攻撃に対処できない。
潜入工作員が重要インフラにテロをしかけてきたらどうなるだろうか。原子力発電所には、武器をもった警備員が配置されていない。あるいは通勤時間帯の地下鉄に毒物を持ち込まれたらどうなるだろうか?必要な法整備がすすめられず、諜報機関を軽視してきたツケがめぐってきた。人の多い東京ならどこでも、工作員は効果的なアクションが可能である。
北朝鮮が力の象徴とする弾道ミサイルなどは対処できないものの最たるものである。正確を期していえば撃ち落とせないわけではない。しかし日本を射程におさめたニ百発を超えるミサイルによって飽和攻撃が行われた場合、日米が協力してその迎撃にあたったとしても、そのすべてを撃ち落とせるわけではない。
日本のイージス艦一隻が一度に追いかけて迎撃のできる弾道ミサイルは1発である。アメリカはアップデートされたイージスシステムを搭載しているので、一隻あたり10程度の目標を同時攻撃できるが、飽和攻撃に投入されたミサイルのすべてを撃ち落とせるわけではない。
日本国本土の主要都市・基地周辺には、大気圏内の日本上空で弾道ミサイルを撃墜することのできるPAC‐3が配備されている。しかしこれとて万能ではない。上空で弾道ミサイルを撃ち落とせば、破片や毒ガス兵器などの内容物が主要都市に降り注いでくるのである。もし核弾頭がその中にあって上空で爆発すれば、EMP(電磁パルス)を生じ、航空機が制御不能に陥るのみならず、インフラをはじめ重要施設の電子機器が破壊されてしまうだろう。万が一核弾頭が山手線内に着弾すれば、少なくとも山手線内は灰燼に帰す可能性が高い。

難民の問題もある。戦争がはじまれば、在留邦人の引き上げはもちろんのこと、日本に避難してくる朝鮮人も存在するだろう。その数は数十万あるいは数百万人にも上るかもしれない。果たしてこれだけの人間を引き受けられるだろうか。

しかも北朝鮮の問題は先送りすればするほど、日本を含む関係国の被害と事後処理が大変になる。

果たして、北朝鮮に平和裏に核兵器を放棄させることができるであろうか。私は極めて難しいと考える。北朝鮮は(中国もだが)力こそが、自分たちの行いを正当化させ、生存権を確保せしめ、相手を従えさせることのできる唯一の手段であると確信している。ゆえに、彼らはその力を手に入れるために必要なありとあらゆる犠牲を許容するであろう。
もし今回、アメリカが軍を引くことがあっても、朝鮮半島有事は遅かれ早かれの既定路線なのである。

(大きすぎる授業料を払うかもしれないことによって)我々が学ばねばならないことは、平和のために真面目に軍事を学びそのバランスをとる努力をしなければならない現実についてである。政治家はもちろんのこと、国民も義務教育をはじめ様々な段階で軍事の基本について学ぶ必要があったのだがそれをしてこなかった。アメリカに軍事を依存してきたことと不勉強の代償であるが、国政の場で日本の安全を確保するために必要な戦略・戦術について語れる政治家は少ない。また当然国民も関心を示さない。だから必要十分な防衛措置が講じられないまま、北朝鮮に対しても核開発を途中で挫折させるような、かつてイスラエルがイランに行った妨害工作のような対処を講じることができなかった(中には防衛的先制攻撃とは認められないものもあったが)。

われわれに降りかかる火の粉はこれだけではない。数年内には西南諸島でも何かしらの動きがあるといわれている。この先ひとりでも多くの国民の生命を守るために、今回の騒動を契機として、平和のための軍事について真剣に語る機会・学ぶ機会を増やさねばらなないと考える。



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新年あけましておめでとうございますブログ記事

新年あけましておめでとうございます。恒例の筆不精をご容赦ください。

昨年は参議院選挙等のお手伝い等ありまして、個人的に大変慌ただしい一年となりました。現在はそのご縁で、中西さとし事務所にて秘書としてお手伝いをさせていただくとともに、政治の勉強を重ねております。

非常に急なことでしたので、直接お会いしてご挨拶できずじまいでご無礼をお詫びしなければならない方も多々いらっしゃいます。機会を作りお伺い申し上げますとともに、ご期待に応えられるようしっかりと政治に、世のため人のためにと励んでまいりますので、引き続きご指導・ご鞭撻いただければ幸甚です。

 

さて、昨年は本当にいろいろな出来事があって、多くのことを考えさせられる一年でありました。その時々の出来事から感想やアイデアを得てはいるのですが、ろくにメモもしないもので、いま思い出せと言われてもなかなかまとまらないものです。

やはり鮮度が一番ということで、できるかぎり記事にしてアップロードしていくよう努めたいと思います。

 

せっかくですので今年の動向が気になるものを3つあげたいと思います。
ひとつは、天皇陛下の譲位に関すること。もうひとつは憲法改正、最後にローカリゼーションの台頭です。

最初の問題は日本と日本人の根幹にかかわることです。皇室あっての日本です。どのようにしてその彌栄をお支えしていくかということについて、保守の論客もまとまった回答を得ていないようです。以前に関係する記事を書いたように記憶をしています。その時点での自分の気持ちを書いたつもりではありますが、それが確信を持った回答かと問われれば否と言わざるをえません。

憲法改正は、今年中に行って欲しいと強く思っています。勝負は一点突破でやってもらいたい。あれやこれや改正点を盛り込むと絶対にダメです。日本の存立にかかわる根幹的なテーマで改正を議論すべきです。つまり前文の修正、それから憲法9条第二項の修正または第三項の加憲。そして前文では日本の国のかたちをちゃんと記す。9条では自衛のための軍事力を有することと、その実行部隊である自衛隊の軍隊としての立場を明記すること。国家存亡にかかわるこれらのテーマに絞って、命がけで取り組めば改正は絶対に成ると考えています。本気の政治家、本気の政治が必要です。

最後は移民問題やテロ、イギリスのEU離脱、トランプ当選からよく言われるナショナリズムの高まりあるいは排外主義高まり。画面の向こうの評論家然としたよくそういう表現を使うから真似ました。私に言わせてみれば、それらのリアクション群はグローバリゼーションという名の、経済(侵略)戦争、あるいはある国ある文化からの他国他文化への過干渉、強制的な普遍化に対して、個であろうとする意思の発露であり自然な免疫反応にすぎません。闇雲に押し付けたり飲み込もうとするのではなく、相手の立場を理解し認めるという当たり前のことを欠いているのだと考えます。経済ガー、貿易ガー、グローバルスタンダードガーとかいろいろ言って一様化しようとしますが、国だって人と同じで絵の上手い人もいればかけっこが得意な人、そのパーソナルスキルは様々なのです。得手不得手は認めてあげて、それぞれが活躍できる場に置くべきです。生物の生存にその多様性が欠かせないといえば誰でも素直に理解できるのですから、同じ着眼点で人間社会の持続と発展にも言語や文化、それらの成果物である社会の多様性が重要であると理解できそうなものですがね。この問題の解決には、多様性について寛容かつ結びの文化を持つ日本が大きく貢献できる余地があると考えます。

 

 

おまけ、最近読んでとてもおもしろかった本『総理』を紹介します。
山口記者の渾身の一冊といった感がします。



政治の最前線にいる政治家が、どのような苦悩を抱え、決断し、また挫折するのかについて、あたかも眼前の出来事のように感じつつ知ることができます。安倍総理のヨイショ本だという批判もありますが、私は決してそのようには感じませんでした。政治を毛嫌いしている方、あきらめを抱きつつある方にこそ手にとってもらいたいですね。もちろん政治好きにも大推薦しますが(笑)産経の阿比留記者からも同様のタイトルの本が出ていますが、私の軍配は山口記者に上がります。書き方のアプローチが違うからこういう比較はフェアじゃないのかもしれませんが。

最後まで読んでくださってありがとうございます。

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靖国神社秋季例大祭

昨晩は激しい雨が降りました。どうなることやらと心配もいたしましたか、なるべくしてとでも言うべきでしょうか、今朝方にはすっかり青空がのぞくのでした。

靖国神社秋季例大祭に参りました。祖国の礎となられました御英霊に対しまして衷心より哀悼の誠を捧げました。

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京都研修会

すっかりご無沙汰をしております。

この連休、お休み返上で研修会に出席中です。

水と木、そして神々が織り成す日本文化のおはなしです

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[日本国憲法]共和党トランプ大統領候補の副産物

過激かつ排他的な発言で世を賑わせているトランプ候補。
彼のような政治家が台頭してきたことでグローバリゼーションからローカリゼーションへの揺り戻しが起きていることをつぶさに実感するのである。不可避の流れか・・・

さて、対日政策に関してもいろいろと急進的なコメントを残してきたトランプ候補であるが、その数ある一つが面白い副産物(高官発言)をもたらした。

バイデン副大統領「私たちが日本国憲法を書いた。日本は核保有国になり得ない」 (産経ニュース)

日本国憲法原案について既知のことがらではあります。しかしアメリカの現職から言われると腹立たしくもあり、今日もそれを大事にいただいている自分達日本人を情けなくも感じますね。

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8月15日護国神社

​8月15日国のために尊い犠牲となられたご英霊の御霊に、尊崇の念をもって慎んで哀悼の誠をささげました。みなさんもお時間ご都合つきましたら、春季大祭、秋季大祭、夏の献水の儀にお越しくださいませ。

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象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば

象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば

激動の今ではありますが、今日(8月8日)は日本にとってことさら大きな出来事がございました。上記リンクの通り、天皇陛下が象徴としてのお務めについてその思いを語られました。

メッセージからは、ただひたすらに国民の安寧を願い、伝統の継承者としての責務を果たされようとする真摯なお姿が伝わって参りました。また、お年を召されたこともあり、あるべき姿を今後も維持し続けることができるかということに不安を覚えていらっしゃるとのことでした。

本当にもったいないお言葉でございました。涙がこぼれます。

皇室のあり方について定めた皇室典範は、今日では憲法下に置かれているため、大変恐れ多いことではありますが、必要に際しては民選の国会議員がその改正にあたることになります。実際には有識者会議の方針にのっとった結論が出るとはいえ、お世継ぎ問題の際の対応などを見ていると不安を覚えずにはいられません・・・

皇室の家法ともいうべき皇室典範が憲法下に置かれたのは、明治以降と理解しております。近代国家の要請に従って止むを得ずそのような形態をとったのであって、ある時代の特異な、あるいは一過性のレジームにいつまでもお付き合いする必要はないと考えます。憲法なるものができるよりもはるか以前より存在し続け、あらゆる時代において普遍的価値を持ち続けた「伝統」こそが真理であります。つまり私としては、いわゆる皇室典範なるものは憲法下から離れたのちに皇室の家法として、伝統に則り皇室の方々によって粛々と運用されるべきであると考えます。日本国臣民としてはこれに従う道のほかはないと考えます。

 

さて、戦後の教育では、天皇陛下について学ぶ機会はほとんどないに等しいといっても差し支えないでしょう。憲法に書かれている象徴以上のことは触れられません。あるとすれば、宮中行事で田植えをされている程度の記述でしょうか。
これでは正しい天皇陛下のお姿は伝わりませんし、本日のメッセージも正しく受け取ることができない恐れがあります。
というわけで少し天皇陛下の担われている仕事について少し補足を行います。

法律に定めるところの国事行為、参議院の開会の詔であったり、外交への参加、その他公式行事での挨拶等はみなさまご存知のことと思います。しかし本当に大切な天皇陛下のお仕事は、国と民安かれと毎日祈りをささげ治(し)らすこと。そして、豊葦原瑞穂国(日本)を理想的な世の中にするべく、国民に対しかくあるべしとする国民像について自ら範を示し続けることです。これが古代より連綿と受け継がれてきた最も重要な仕事です。私たちは、その姿を見て天皇陛下を敬愛し、大切に思い、どのような激動の時代にあっても、行先を違えることはなかったのであります。つまりは日本人が日本人であるのは天皇陛下がいて皇室があるからなのです。伝統を冠した皇室がなくなってしまえば、それは日本という名前のついた民族あるいは国土にすぎず、変容してしまっているのです。

後半は詰め込みすぎたように思い反省をしております。詳しく勉強してみたい方は、私の稚拙な文章を離れ、日本書紀または古事記あるいはその解説本を手にとられることをおすすめします。
長文にお付き合いくださりありがとうございました。天皇陛下万歳。

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