お祀り・お祭り

八月下旬はいくつかのお祭りに参加をしました。

まずは九反田地蔵尊の夏祭り。
関ヶ原の役の後、石田三成の幼女 (天周妙終尼) は土佐の称名寺を頼って逃げ落ちました。その子は7歳にして病死。後の文政の頃 (1850年頃)、米蔵(称名寺跡=市立第一小学校跡)が鳴動することがあったので、床下を掘ってみると首のない地蔵尊と石碑を発見。石碑には「天周妙終尼 慶長十八年(一六一三)六月二十二日」と刻まれていました。この碑と地蔵尊を祀ったのが九反田地蔵尊です。市場が弘化台に移ったことと、子どもが減ってしまったために、お祭りには昔ほどの人出はないとのことですが、いまでも地域の人々にとは夏の風物詩として愛されているようです。

翌日にお邪魔をしたのが、長浜のとある福祉施設の納涼祭。雨にも関わらず地域の人々が沢山出て賑わいを見せていました。お楽しみはビンチョウマグロの解体ショー。
解体ショーって、よくよく考えるとグロテスクな言葉ですね(笑)
施設入居者と家族、そして地域の方の良き交流の場となっていました。職員、入居者、地域の人が普段から顔を合わせてコミュニケーションをとっておけば、天災等の緊急事態に直面した際には円滑に協力体制を構築することができます。

長浜に滞在すること一時間、その後あわてて移動をした先は一ノ宮、土佐神社です。
8月24日といえばしなね祭の宵祭。

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今年ははじめての宵祭から参加を致しました。20時前にくればだれでも参加できるようですので、みなさまもぜひ来年はチャレンジしてください。

 

 

 

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こちらの写真は25日の大祭直前のものです。10時からの大祭、15時からの御神幸行列に参加。お供人として大きな榊を挿したカゴを4人がかりでかつぎました。神降ろしの儀式を経て、ご祭神をお迎えしたお神輿をかついて一行は御旅所を目指します。御旅所は一宮駅の近くにありますのでそこまで県道を南下するわけですが、大人数が行列をなせば道は混雑を極めるのでした。お巡りさんの協力を得て車を捌きつつ、無事に御旅所に辿り着きました。

かつてお神輿の行き先は御旅所ではなく、船に乗って須崎の音無神社を目指したそうです。チャンスが有れば古式に立ち返りたいものですが、祭りを支える人手の高齢化もあってなかなか難しそうですね。若者諸君、8月25日は有給休暇をとってしなね様の御神幸行列に参加しましょう。

しかし祭りというものは良いものですね。ともに過ごす時間は人々の絆を結い、祭典での神への祈りは、伝統や文化に託された先人の思いを改めて知る機会となります。

燃料電池の時代

昨今紙面を賑わしている燃料電池について記事を書こうと思う。

いまから10年以上も前のこと、大学の学部3年制のころになる。
私が学んだEnvironment & Energy コースでは、再生可能エネルギーをはじめとして核融合、核分裂といったニュークリアエネルギー、メタンハイドレート、(なぜか)船舶のこと、かろうじて環境に関係しているかもしれないリモートセンシング技術等をはじめとして、燃料電池についても学ぶ機会を得た。当時は本当に研究途上といった印象で、燃料電池の試験車両の開発コストが1億円とかそのような段階だったと記憶している。

あれから時が経つのは早いもので、10年もすぎれば技術も進歩する。いまでは700万円程度で市販車が手に入るようになった。といっても燃料ステーションが全国に40箇所足らずということでまだまだ普及には時間がかかりそうだ。

しかし、この燃料電池は必ず普及すると予測している。ぜひ知っておいてもらいたいと考えて、高知県議会自民会派のみなさんを連れて昨年にはNEDOを訪問したが、そのときの記事があるので原理等について詳しく知りたい方はそちらを参照いただきたい。記事:NEDOの燃料電池

なぜ燃料電池なのかと言えば、簡単に言えばガソリンが将来にわたって高騰を続けるからだ。そしてもうひとつは二酸化炭素による地球温暖化の問題がある。

ここでもう一つの疑問が頭をもたげる。次世代自動車といえば、燃料電池以外にも電気自動車があるではないかという問いだ。これに対する答えは棲み分けがなされる、とするのが適当かもしれない。電気自動車はその名の通り、バッテリーを搭載してそこから供給される電気でもってモーターを回転させ推進力を得る。しかしこのバッテリーの容量が枷であり、容量を増やせば重量も増えるので走行距離が必ずしも順調に伸びるわけではない。一方燃料電池は水素を700気圧に圧縮して搭載をしており、1充填当たり760kmの連続走行が可能と言われている。ということであれば、都市の通勤などでは電気自動車、長距離移動の際や大型バスなどは燃料電池車を採用するということになるのではないだろうか。

さて、燃料電池押しな理由はもうひとつある。これからガソリンにかわって、水素やメタン(CH4)、エタノール(C2H5OH)が活用されるようになるからだ。エネルギーの貯蓄は従来からの大きな問題であったが、水素という形態で保存することも視野に入ってくる。さらに製品の製造過程において副次的に発生する水素ガスは、現状未利用のまま廃棄されているが、その有効利用にも道がひらけるというものだ。都市ガスのパイプラインを使えば、端末に燃料改質装置を据えるだけで比較的容易に水素を供給できるようになる。そのほかには充填時間も電気自動車に比べて格段に短いといったメリットがある。

ちなみに純粋水素以外にも、水素に窒素を加えた水加ヒドラジンや水素化カルシウムなどの液体・固体と様々あたらしい水素系燃料が開発されている。各々課題があって、まだまだ主役を張れるような段階ではないが、注目度が上がればあがるほど研究開発も進むというもの。我々の社会生活に欠かせない燃料として君臨する日もそう遠くはないはず。

敗戦の日

昨日は五台山護国神社 献水の儀に参加して参りました。神社では高知出身あるいは高知に縁故を持ち、戊辰戦争以来の国難に殉じられた四万一千四百四十四柱のご英霊をお祀りしています。

10時に厳かに祭典が始まり、ご遺族の方々による献水も恙無く行われ、11:30ごろにはすべての儀式が遅滞なく終了しました。

祭典の途中には天上の甕でもひっくり返したかの様な豪雨がありましたが、祭典が終わりに近づくにつれて雨足は弱まり、最後にはすっかり上がってしまいました。

祭典の終わりに別役宮司から挨拶がありました。雨のことにも触れられて、今日の日に天と地を結ぶもの、実りと豊かさをもたらすもの、その架け橋である雨が降ったことに神意を感じると述べられておりました。

さらに、昭和19年に護国神社を参拝した学生の感想文が神社並びに国会図書館に現存しているというお話がありました。その年に県下の学生たちが靖国神社に集団参拝をする計画がありましたが、時局がそれを許さず代わりに護国神社を訪ったとのこと。付近の家々には提灯が掲げられ、それは盛大に執り行われたそうです。そのときの学生の感想文がまた立派なそうで、みなさんに是非読んでもらいたいとのことでした。

感想文はその日は社殿に置かれているとのことでしたので、改めて拝読しに参ります旨、宮司にお伝えいたしました。

お陰様で今日がありますこと、改めて先人に感謝。よりよい日本と高知に次代につなぐべく頑張って参ります。

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総務委員会のち憲法改正勉強会

午前は総務委員会、午後は自民党主催の憲法改正論点勉強会に参加しました!

勉強会の講師は百地章先生です。現行憲法の不備と改正案について復習

改正には国民の過半数の賛意が必要ですがこれを獲得することは容易ではないでしょう。実現には分かり易い説明あるいは段階的改正などのテクニックを駆使する必要があります。

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集中豪雨

台風12号の影響で、2日からずっと降り続いている雨。皆さんご存知の通り、総雨量はすでに1000ミリを超え、県内各地で避難指示・避難勧告等が相次ぎました。被害は多種多様で、中山間地域での土砂災害、南国市や須崎、さらには高知市内では河川が氾濫し、床上・床下浸水を引き起こしました。

私の住まう一宮もその例外ではなく、県道の冠水までは至りませんでしたが、市道の一部や農道は水路と見紛う様相。土佐神社のすぐ西側を流れる志奈袮川の水位は一部ですでに氾濫水位を超えていました。あと10数センチほど水嵩が上がっていれば、土嚢を超えて県道一宮マルナカ店前が水浸しになっていたでしょう。98豪雨の際に前科があるそうで、そういった反省から南側の下流からジワジワと河川拡張工事が行われていますが、まだ県道北本町領石線(東西の県道)以北が未着手です。

地域の方と情報を交換して、県河川に状況を連絡。追加の土嚢が必要になるかもしれない旨を伝えました。電話を入れて5分も経たないうちに河川管理を委託された事業者の方が到着。電話以前に見回りにでていたのだろうと思います。事業者の方は手際よく土嚢の嵩上げを行ってくださいました。(↓志奈袮川の写真)

おおよそ09:00頃が水位のピークのようで、その後は雨量の低下とともに水位も下がりました。今回は幸いにして大きな被害には至りませんでしたが、週半ばには台風11号も接近するということで(昨今のゲリラ豪雨の傾向からして)予断を許さない状況です。

一方鏡川は、ダムの放流が10:30頃に行われると氾濫水位ぎりぎりに達しました(参考:国土交通省テレメーター)。事態に基づき市内全域に避難勧告が出されると、私の携帯もけたたましくお知らせ音を立てたのでした。ダムの放流は浦戸湾が満潮から干潮に転じるタイミングとダムの貯水状況を見ながら行ったのだろうと推測します。放流の判断、精神的に大変だったろうと思います。担当者様お疲れ様です。

さて、治水の大切さを考えさせられる一日でした。まだ十分な治水事業が行われておらず、氾濫した地域や、直前まで達した地域など多々見受けられます。地方の公共事業は無駄、経済性優先といった論調が続く中で一律に予算が削られてしまい、その影響から事業着工が遅れたり、見直しにより未着手のまま放置されてしまったものもあるでしょう。中・長期的あるいは最悪の場合を想定して、必要な物は必要なのだ、そうしっかりと声をあげていくのが我々の役目であるということを改めて認識いたします。

もう一点、先人たちの偉業というかご労苦には本当に頭が下がります。自分が子供の頃には、台風が来る度にあちこちの山が滑り、河川が氾濫していました。ひと通り潰れるところは潰れたと言うべきか、かつての崩れた場所はコンクリートとアンカーで固定され、河岸はコンクリート製へと変えられました。子供ながらに、うなぎやサワガニ、魚釣りができなくなって非常に残念な思いをした覚えはありますが、先人のお陰様で水害による人的・物的被害が大きく減ったのは紛れもない事実です。今後更新する際には、魚道や魚の隠れる場所など自然に配慮した工事を行っていくことも大切ですね。