選挙戦を終えて

平常時ではとても考えられないほどの沢山の方がアクセスくださっているようです。たいへんお待たせをしました。

ご支援下さいました皆様、誠にありがとうございました。
大変残念ながら私の不徳の致すところによりご期待に応えることができませんでしたことを心からお詫び申し上げます。

この4年間、初心を忘れることなく、主義主張を曲げることなく、言うべきことを言い、また一片の後悔もすることなく県政活動に励んでまいりました。このようなことが叶いましたのも、支援者の方々の厚い理解と協力の賜物と誠に感謝申し上げます。

しかし今回の落選は、多くの県民が期待するところには十分に応えられていなかった結果ですので、同様に活動を続ける際には、更なる刻苦勉励が必要であると厳粛に受け止めております。

今後の展開については天意にお任せするとして、とりあえずはお世話になった方々に対して、義理を欠くことのないよう努めて参りたいと思います。

高知県議会も若返りを果たしました。各位が県勢浮揚に向けてご活躍されますことを心より祈念申し上げます。

今後も時折、今まで同様に時事ネタへのコメントや思いついたことを書き残して参りますので、時々当サイトを訪れて頂ければ幸甚です。

 

さて、自分の話もそこそこに、今回の投票率の低下について触れたいと思います。今回の選挙では、新人候補者が多かったことや、お祭りのような選挙活動(今思えば候補者たちの内輪の盛り上がり)であったことから、投票率は多少上向くのではないかと予想しておりました。しかし、予想外にも下落してしまったということは、多少の新陳代謝はあるにせよ、選挙に行く層はほぼ固まってしまっているということだと思います。人口の自然減・社会減が進む中で選挙に行く層が減って、更に投票率が低下するのだとすれば、益々と盤石な組織(かといって業界票ではない)を作ることが重要になってくるのでしょうか、落下傘とか新人だとかそういう奇天烈要素の影響力は相対的に低下しているように感じます。裏切らない組織作りの秘訣といえば・・・。

投票に行かない人はどういう動機によるのか。政治がよくわからないとか、誰に入れても変わらないなどいろいろ考え方はあろうかと思います。今日、私の事務所を数学者・岡潔先生を大変敬愛されていらっしゃる方が訪ねてくださいました。岡潔先生によると、最近の有権者は自分のために一票を投じるものと考えるのだからダメなのだとおっしゃったそうです。有権者には世のため人のために一票を投じるのだという気概が求められるとういことでしょうか。政治家が襟を正すのはもちろんのこと、たしかにそういう姿勢の有権者が増えれば、政治の質も変わるかもしれませんね。

和歌

何事のおはしますかは知らねどもかたじけなさに涙こぼるる 西行法師

よもの海みなはらからと思ふ世になど波風のたちさわぐらむ 明治天皇

一つ目の歌は、西行法師が伊勢神宮を参拝した時に詠んだ歌です。特に難しい言い回しもありませんので、意味はおわかりになるかと思います。しかし歌の詠んだ情景、つまり西行法師の感動を追体験するためには、伊勢神宮に行った経験はもちろんのこと、多少なりとも伊勢神宮や神道、日本の歴史・文化について把握していなければなりません。

二つ目の歌は、明治天皇が日露戦争の折に詠まれ、昭和天皇が対米戦争決定の御前会議で奉唱されました。いわゆる御製と呼ばれるものです。「よも」とは「四方」のこと、「はらから」とは「兄弟」のことです。一つ目と同様に、なぜ日露戦争をしなければならなかったのか、もっと言うならばなぜ日本は近代化しなければならなかったのか、天皇・皇室とはなどについての理解が不可欠です。

どちらも私の好きな心に沁みる和歌です。

私は国語が苦手でして、子供の頃から和歌や詩というものをあまり理解しようとしていませんでした。古今和歌集などの古い作品が教科書に掲載されていれば、ああ、いつの時代にも風流なひとはいたもんだなぁと思った程度のことです。

しかし、いろいろ経験し勉強を重ね、実際に歌を詠むなどの経験を積むと見えてくるものがあります。歌を読むときには、心から余計な装飾をそぎ落とし、その時感じたもの、素直な感情をそのままに歌に詠みあげなければなりません。かっこ良くいい回そうなどとすると、絶対によいものには仕上がりません。まして相手の心に伝わるようなものにはならないでしょう。逆に言えば、きちんとルールを踏まえてこころのままに詠むことができたならば、わずか31字の文字であっても、自身の心象風景を相手にきちんと伝えることができます。私はここに日本語の、言霊の凄さを感じずにはいられません。さらに言えば、おおよそだれでも、31字の文字から詠手の言わんとする事を汲み取ることのできる日本人の文化的同質性?素養?にも感動いたします。

ことほどさようですので、子供のころに和歌を堪能できなかった理由は、国語云々だけが理由ではなく、教育において和歌が受験のための道具としてしか教えられなかったことも深く影響しているのではないかと思います。もう少し詳細な歴史や文化についての説明があって、さらには四季折々の感動に触れるなどの経験を重ねる機会があれば違ったのかなと。学校での和歌の取扱いにはもっと工夫の余地がありますね。

さらに、この和歌を詠む練習を重ねたならば、人格形成にも良い影響を与えるものと考えます。なぜならば、素晴らしい和歌が詠めるようになるということは、他者に想いをきちんと伝えられるようになるということですし、同時に相手の想いや心を汲むことのできる素地が整ったものと考えられるからです。

つい最近和歌の良さがわかるようになってきたにわか者が偉そうなことを長々と書いてしまいました。しかし、他者をきちんと思い遣ることのできる人が増えて、例えばいじめなどが減るならば良いではありませんか。これを機会に和歌の素晴らしさについて、頭の整理をしてみようかと思います。

出陣式

今朝は土佐神社前にて出陣式を行いました。
雨の降りしきる中、たくさんの方にお越しいただきましたこと心から御礼申し上げます。

土佐神社は社殿が十文字のかたちをしておりまして、一般に入蜻蛉様式と呼ばれています。蜻蛉は古来より勝ち虫とされており、武士は縁起物として武具や陣羽織に意匠として取り入れていたそうです。現社殿を創建された長宗我部元親公は、凱旋報告の社として位置づけたと言われています。したがいまして、厳密には勝利後に足を運ぶべきところなのかもしれませんが、勝負前に神社の中ではなく神社前での出陣式ということで神様にはご容赦賜りたいと思います。

さて、今朝は大雨でしたから、こんなんで出陣式になるのかなと不安でありました。応援弁士もまもなく会場を後にしなければならないということで、それじゃあ思い切ってやるかとマイクを手にしたころ、突然に雨が降り止んだのでありました。その幕間に出陣式を終えますと、待っていましたとばかりに雨が再び降り始めたからあら不思議、天佑神助と言うにふさわしいかな。

兎も角も今日から9日間、各地でお騒がせをいたします。
細かな政策はさておき、世のため人のため頑張ります。
そしてそういう志を持った方々を育み、輪を広げるべくお訴えをさせていただきます。
志あるものが集い力を合わせれば、我々の抱える課題は自ずと解決されるのです。
とどのつまり、全ては人の問題なのですから。

どうかひとつ温かい心で、西内たかずみ頑張れよと、手を振っていただければ幸甚です。

護国神社-春季大祭

私の恒例行事がやってまいりました。護国神社春季大祭への参加です。
「わたしの」などと書いてしまいましたが、限定する方がむしろおかしい。公職にある方は当然として、できるだけ多くの県民にご参加いただきたいと切にお願い申し上げます。

今年で戦後70年になりますが、遺族会のみなさまも高齢化がすすみ、世代はすでに子や孫にうつっているそうです。世代がかわればどうしても感心が遠のいてしまい、遺族会の数は減少するばかり。護国神社は遺族会のメンバーを中心とした崇敬神社でありますから、資金面で大変ご苦労されているようにお伺いしております。日本を守るために散華された英霊の御霊を祀る本神社が、存続できなくなるようなことはあってはなりません。他県には護国神社奉賛を目的とした公益財団法人を設立しているところもあるとのことですから、目下の課題を片付けましたら、これらを参考に打開策を考えてみたいと思います。

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今年の春季大祭は例年にない厳粛さがあったように思います。司会の新川さんのがんばりをはじめとして、別役宮司の素晴らしい祝詞奏上。耳を傾けているうちに、若くして命を落とされた方々への哀悼、彼らの遺志を十分に継ぐことができていないことへの申し訳無さなど、様々な思いが去来し、気がつけば磬折(けいせつ)の最中に床に涙をこぼしていたのでありました。しかし普段と何かが違うという感覚、きっと私以外にも共有されていらっしゃる方がいたと思います。献幣使の祭文奏上は、言葉と言葉の間の絶妙な加減によって、私の耳を捉えて離しません。言霊の力に魅せられたとでも言うべきでしょうか。市長代理の副市長の追悼の辞も、後半感極まって言葉にかすかな震えがあったように思います。さらに祭典中は、拝殿のあまりの静謐さゆえに、山の下を走る車の音が騒々しく聞こえたほどです。
なんと形容すればよいか、英霊を追悼するにふさわしく、場が整っている感じがしたと言うのが適当か。

祭典を一通り終えると、まるで申し合わせたかのように雨が降り始めました。雨に打たれて舞い散る桜も美しく、参列くださった方々に応えているかのようでした。大東亜戦争敗戦から70年の節目ということも心情に影響を及ぼしているのかもしれませんね・・・

今春も本祭典に参列させていただき、つつがなく終えることができましたことを大変嬉しく思います。国のために尊い犠牲となられたご英霊の御霊に、尊崇の念をもって慎んで哀悼の誠をささげます。

土佐神社-月次祭 と最近気になる物

世間一般では、4月1日はエイプリルフールの日として認知され、話題となり注目を集めたい企業や個人さんが、その身を削ってネタ作りにいそしむのが慣例となっているようです。

私にとっての今年の4月1日は、土佐神社月次祭へはじめての出席の日。あいにくのお天気ではありましたが桜の咲き誇る参道を横目に到着!入蜻蛉形式の土佐神社の拝殿にあがらせていただきました。

月次祭とは何するものかと言いますと、国家安泰と天皇の弥栄を祈念するものです。わずか30分ほどのお祀りです。興味のある方は月の1日9時45分頃に、土佐神社までお越しくださいませ。どなたでも参列することができます。

ここ2,3日は神社に縁のある日が続きます。明日(すでに今日)は護国神社の春季大祭に出席。明後日の朝も土佐神社で一仕事。ありがたいかぎりです。

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さて、最近気になる話題についても触れたいと思います。
昨年あたりからよく耳にするようになりました、セルロースナノファイバーという素材についてご紹介します。植物から得られるこの素材は、CNF、BNFなどと呼ばれています。以下CNF。細かな解説は以下の動画を御覧ください(音あり)。

[youtube]https://www.youtube.com/watch?v=JQT7XfYP87w[/youtube]

鉄の1/5の軽さで5倍の強度、プラスチックよりも熱に強く、ガラスよりも曲げが効くって何かすごそうですね。
さらに私が胸踊らされる理由は、その原材料が木材(植物)から調達可能という点。
木材の建築材としての需要が減少しつつある今日、木材の新しい活用方法を見出せるかいなかは、地方の中山間・過疎地域にとって死活問題です。現在本県では、CLTや木質バイオマス発電などで(古くて)新しい木材の活用方法を確立しようとしていますが、まだパンチが足りないとの思いがしておりました。しかし、CNF実用化の暁には、山の衰退の問題が抜本的に解決されるのではないかと期待が膨らみますね。なんせ身の回りにあふれかえる化石燃料由来のプラスチックや金属の製品、これらがCNFに置き換え可能となれば、山にいったいどれだけの引き合いがあることか・・・環境にもやさしいはず。

実用化に向けて解決しなければならない課題もあります。定番ではありますが、量産化技術の確立、関連して生産コスト低減の課題を乗り越えなくてはならないようです。

高知県でも、本年度予算に紙産業技術センターに高性能機械導入のための予算を計上していたので、ひょっとしてCNF絡みかなと期待をしてしまいました。説明を聞いてみると高性能不織布製造装置導入のための予算ということで少し肩透かしを食らった気分。もちろん不織布も大切ですよ!

というわけで私の最近思いは、民間企業との連携の下、本県でCNF実用化に向けた取組みができないだろうか?というもの。静岡では県が相当力をいれて取組みをはじめていますが、これに追いつきたいですね。私も引き続きお仕事させていただけるようでしたら、本件について積極的に調査・提案を行っていきたいと考えております。