オバマ米大統領の広島訪問に思う

記事にするには少し旬を過ぎてしまった感はあるが、意義のある出来事だと思うのでコメントしてみる。

広島・長崎の原爆投下と言えば、はだしのゲンと修学旅行。私が小学生の時にも宮島と原爆の語り部はセットでした。記念館も見学した後には、小学生ながらに戦争はいけない、こんなことを二度と繰り返してはいけないなと思ったものです。

しかし違和感もないわけではなかったのです。小学生の平和授業や就学旅行の広島コースのどこにも落とした者の輪郭を明瞭にする言葉はなく、まるで日本一人だけが加害者であり被害者でした。そのチグハグが解消されるには教科書以外の勉強が必要であり、戦時国際法の存在や極東軍事裁判(東京裁判)の茶番、かの国をはじめ戦勝国の欺瞞を知る必要があったのでした。

さてさて、主題に移りましてオバマ大統領の広島訪問。安倍総理でなければ決して実現できなかったと思います。ありがとうございます。

まず私の胸に去来したのは、よくやった、よく来てくれたという思い。71年かかったけれども、この度のできごとによって犠牲者、ご遺族、あるいは広島を知る人々のやる方無い思いも、幾分かは晴れたのではないかと思います。また、直接的被害者ではない私ですが、少なからず溜飲を下げたという点において、そしてほとんど多くの日本人が同様の感情を持ったという点において、日本人的なるものの存在をひたと感じ感動を覚えたのであります。

次の感情は、戦勝国の欺瞞がのさばり続けること、謝罪がなかったことへの少しの落胆。原爆投下は必要だったというのがかの国の政府見解であり、彼らの教科書にも書かれていることですから、そのようなことを期待することもなかった。事前に謝罪に行くのではないとも言っていましたしね。どこぞの国のように歴史を外交カードにするつもりなど毛頭ないのです。しかし期待していないとはいえやはり落胆はする。戦時国際法の無差別攻撃の禁止に明らかに抵触しているわけですから、ダメなものはダメ、いつかはその非を認めて欲しいものです。それが道理というものです。
ここで極東軍事裁判で有名なパール判事の言葉を引用します。

時が熱狂と偏見とをやわらげた暁には、また理性が虚偽からその仮面を剥ぎ取った暁には、その時こそ正義の女神はその秤を平衡に保ちながら、過去の賞罰の多くにそのところを変えることを要求するであろう。 ラダ・ビノード・パール

さてさてすっかり長文になってしまいました。つまり、今回の訪問は大いに評価できるが、多少の落胆も招いたというのが結論です。ということは評価しているのは外交手腕ということになるのか?

おまけ。情報収集をしていると、いろいろな物の見方があるのだと関心させられた。一つは、アメリカによる日本の核保有論台頭の封じ込め。トランプの尻ぬぐいをオバマ大統領がやったのだという考え方。もう一つは、かつて核兵器を廃絶するといってノーベル平和賞をもらったオバマですが、任期も残り僅かですしそのアウトロとして広島訪問して核兵器廃絶を謳ったというもの。

いやー、消費税増税先送りとその反対と解散のことにも触れたかったのですが、次回かな?


参議院議員通常選挙についての雑感

第24回参議院議員通常選挙まであと1月。
公示日と告示日の違いについて聞かれたがよくわからなくて調べた。要は天皇陛下の国事行為であるかないかの差というのが私の結論だ。

衆参の通常選挙の実施にあたっては、天皇陛下の公示を伴いますが、補選にはそれがなくて掲示板による告知である。前者は公示で後者が告示。統一地方選挙や首長選挙はしたがって告示日である。

ちょっと賢くなりました。

さて、今回の参議院選挙に関係なくもない身の上としてとりとめのないことをつらつらと書いてみようと思う。

とにかく感じるのは選挙制度のまずさ。0増5減で高知・徳島、島根・鳥取の選挙区が合区となりました。一票の格差かなにかしらないが最高裁はどうかしていると思う。かつて統治行為判決を出したことがあるのだから、おなじ考え方をひっぱってきて原告の訴えを退けるべきだった(笑)付け加えるなら、こういう状況に至るまで対策を講じていなかったという過失が自民党にもあると思う。

この状態を放置しておくと、何か奇跡的なことがおきて都市の人口が地方に分散しない限り、一票の格差の問題は拡大を続けるわけで、地方都市の定数がさらに減って、大都市選出の議員がますます増えることとなる。そうすれば、国会で審議されてる様々な政策の考え方が大都市寄りとなってしまう。地方活性化などとは言うが実際には地方の声が政策に反映されにくくなり、さらに地方が衰退するという悪循環に陥ることが懸念されるのである。

問題の根本解決は、原因のそもそもが憲法(憲法14条、憲法15条、憲法44条は、国民が政治的価値について平等であることを要求している)を根拠とした最高裁判決にあるので、裁判官の思考様式(流行)が変わるか、憲法改正しかないのである。前者はそうそうなさそうなので現実的に実行しうるのは後者ということになろう。

憲法改正をしなければならない理由はたくさんあるが、今回の選挙制度もそのひとつに数えられるというのが今日の一つの結論である。

現場のお話に移ろうかと考え始めた矢先に眠気が来ました。今日はここらあたりで。

おひさしぶりです

おひさしぶりです。毎度のことですが筆不精すぎてすみません。

いろいろ書きたいことはあるのですが、家に帰ってから長いことパソコンに向かう気力がないもので、ずるずると今日まで来てしまいました。

今日は書籍の紹介でもしてみようかなと考えておりますが、それに先立ちまして今後の記事の予定を明らかにしておきましょう。これによって、書かなきゃいけないという動機付けを自身に施すことができるのではないかと期待するところです。

  • 書籍の紹介
    国会議員に読ませたい敗戦秘話-産経新聞出版
    鹿の王-上橋菜穂子
    明日への選択からの抜粋-日本政策研究センター
    戦後経済史は嘘ばかり-高橋洋一
    その他
  • 2045年の技術的シンギュラリティ
  • 参議院選挙について
  • オバマの広島訪問

さて、今日ご紹介するのは、百田尚樹さんの最新作、「カエルの楽園」です。百田尚樹さんと言えば、永遠の0がバカ売れして映画化されたと思えば、深愛?でいろいろと物議をかもしたりと話題に事欠かない方です。そういうこともあって最近は敬遠していたのですが、カエルの楽園の書評を見ていると気になったので手にとってみたところです。

読んでみるとこれが面白くて、2時間くらいで一気に読みきってしまいました。何度も中断してダラダラと読むことが多いのですが、今回はササッと読めましたね。平易な内容のものを筆休め的に読むとういのも悪くないなぁと感じた次第です。

肝心のお話は、我が国をとりまく安全保障上の問題を、カエルを登場人物に仕立ててわかりやすく物語したもの、いわゆる社会(日本)風刺ものです。

主たる主人公は二匹のアマガエル。凶悪なカエルや捕食動物たちに故国を追われて命からがらたどり着いた先は、カエルの楽園-ナパージュ。ナパージュには三戎と呼ばれる至上のルールがありました。

①カエルを信じろ(前文)
②カエルと争うな(9条1項)
③争うための力を持つな(9条2項)

ナパージュの国に住むツチガエルたちは、今日のナパージュの繁栄と平和があるのは三戎があるおかげだと信じていました。そんなある日に隣の沼地に住むヌマガエルがツチガエルの住む池に踏み込んできます。三戎の教えをひたすらに守ろうとするカエルたち、ツチガエルの危険性を説き三戎を破棄せよと訴えるカエルたち、己の身ひとつでツチガエルを守りヌマガエル追い返そうとするカエルたち、かれらこそナパージュの平和を脅かすものだと囃し立てるカエルたち。様々なカエルドラマを重ねて、ナパージュの国とはひとつの結末を迎えます。

結末は読んでのお楽しみですが、ひとつ言えることは、この物語の登場人物や物語の背景、思想のそれぞれが今日の日本にあるものと、日本をとりまくものに置き換えることが容易に可能であり、読み手の想像力や理解力が豊かであれば、読後にはおおよそ苦虫を噛み潰したような顔になってしまうであろうこと。

ぜひ皆さんに手にとっていただきたい一冊ですね。別に目新しいことが書かれているわけではないのですが、登場人物や舞台を変えるとそれだけで新鮮に感じたり、とっつきやすくなったりするものだなと大変関心いたしました。