台湾、八田與一像の頭部が切断される

非常な親日国であり、日本よりもかつての日本らしいと言われる台湾において非常に残念な事件が起きた。タイトルの通りだが本題に入る前に、前回の記事で触れながった部分について補足を行いたい。 彼を知り己を知れば百戦危うからず というが本当か?というわけで半島の某国家の軍事力について紹介する。 総兵力 約119万人うち陸上兵力102万人、さらにそのうち2/3はDMZ付近に展開 戦車 3500両 艦艇 780隻 10.4万トン 作戦機 560機 第3/4世代戦闘機 MiG-23×56 MiG29x18 Su-25×34 こんなこと書かれても比較するものがなければ多いのか少ないのか、強いのか弱いのかよくわからない。安心してください、肝心なのはここからです。 北朝鮮保有弾道ミサイル トクサ 射程120km 約100発 スカッドB/C/ER 射程300/500/1000km 数百発 ノドン 射程1300km 数百発 ムスダン 射程2500-4000km 50発以上 テポドン2派生型 射程10000km 弾数不明 KN-08 射程5500km以上 弾数不明 SLBM 射程不明 弾数不明 以上からわかることは、日本(1000km以上)を射程に収める弾道ミサイルが数百発あるということ。しかも、迎撃困難なロフテッド軌道をとるものや、固体燃料によって即座に発射できるもの、さらにはTELと呼ばれる移動式の発射台に搭載されているものもある。後ろ二つの要素は、地下基地からミサイルを出して、こちらに発見される前に発射させることが可能であることを示唆している。さらには潜水艦に搭載されたSLBMによって、海中から攻撃されるケースも想定される。 発射の兆候が掴みづらい弾道ミサイルを複数同時に発射することができるということは、飽和攻撃によってこちらのBMD体制を無力化することができることを示唆している。よく、イージスシステムとPAC-3を補完するためにTHAADを配備してBMD体制を強化せよという声を聞くが、一配備あたりのカバー範囲の狭さが念頭にないものと思われる。日本全土を守るとなると、とんでもないお金をかけてシステムを購入しなければならない。ならば向こうに撃たせなければよいと考えるのが合理的であろう。これは昨今話題となっている敵基地攻撃能力(策源地攻撃能力)の話と絡んでくるが、今日の本旨ではないので後日の記事に譲りたい。   ようやく本題に入ります。 新聞やニュースで目にした人もいるかもしれないが、台湾の八田與一像の頭部が何者かにより切り落とされ、持ち去られた。私は大変悲しむとともに憤りを覚えている。 http://www.sankei.com/world/news/170418/wor1704180042-n1.html 八田與一氏をご存知ない人のために、下記に簡単に紹介する。これを機会にしっていただきたい。 台湾の方々は非常に親日的であるが、特に高齢者のそれは我々を驚かせるほどのものがある。この国民感情は昨日今日醸成されたものではなく、かつての日本統治時代が蒋介石の戒厳令下の統治時代により相対化されたことで一層強固なものとなった。(戒厳令下の話を知りたい方は、 汝、ふたつの故国に殉ず ―台湾で「英雄」となったある日本人の物語― を読んでください。) 日本の統治前の台湾は、一次産業の生産性が低く、風土病等の蔓延する「瘴癘の島」であった。日本政府の方針により、内地と同等の政策の下、公衆衛生の向上、電力の導入、鉄道・道路網整備、利水、戸籍制度の導入、地籍調査、都市計画等が行われた。その劇的な台湾の変わりようは動画のほうがわかりやすいかもしれない。

当時の日本(内地)の課題の一つに、農作物の供給不足があったことから、台湾において農地の開墾を大々的に進める必要があった。しかし、台湾南西部に位置する最も大きな面積を誇る嘉南平野は、洪水と干ばつ、塩害の三重苦が支配する不毛の大地であった。総督府土木技師として台湾に赴任をした八田は、同平野に適切な灌漑工事を施すことで肥沃な農地とすることができると考える。その工事の内容は、世界でも数例しかないほどの規模を誇る巨大ダムを造り、そこから平野に縦横無尽に走る給排水路を引くというものだ。給水路の総延長は1万キロ、排水路は広いところで100メートル幅の総延長6000キロ、給排水路総延長合計1万6000キロというとてつもない規模である。そして給排水路には当然、給水・分水・放水門をはじめ暗渠や橋など様々な構造物が必要となる。また、嘉南平野を満たすためには、ダムの水だけでは十分でないことから、濁水渓から導水工事が行われた。八田の監督の下に行われた本事業費の総額は、今日の円換算で1兆円にのぼる。 工事は必ずしも順調ではなく、爆発事故によって50名もの死者を出したこともあった。最初の事故にしてあまりの被害の大きさから、八田は工事を断念することも考えたという。しかし、嘉南の地に住む台湾人作業員の遺族から、決して工事をやめることのないようにと嘆願され、続行を決心するのである。同平野の治水は、嘉南に住む人々にとっても数百年におよぶ悲願であった。 資金難に苦しんだ際には、八田は優秀な者から現場を去ってもらうこととした。優秀な人は他の仕事でもうまくやっていけるが、そうでないものは再就職は厳しいと考えたからだ。彼らに再就職先を斡旋するとともに、工事費が改めて調達できた際には、現場に戻ってこれるようとりなすことを約束した。そして約束を果たした。 その後、約10年の歳月をかけてすべての工事が完了する。人造湖を烏山頭ダム、ダムと給排水路を含めたこの一帯を嘉南大圳と命名する。 以後、八田は「嘉南大圳の父」として敬愛され、その死後も嘉南の人々にとって忘れがたい恩人となったのであった。 完成後間もないころ、八田の銅像をつくりたいとの申し出があった。熱烈な申し入れについに折れ、堅苦しくなくありのままの姿でという条件付きでこれを認めると、同地には作業服姿で腰をおろし、頭髪をひねる姿の八田像が設置されることとなった。 昭和十七年、フィリピンへ向かう八田は、乗船が米潜水艦に撃沈されたために東シナ海で帰らぬ人となった。妻・外代樹は、終戦直後の9月1日、子供たちを残して、夫のあとを追うようにダムに身投げをしたのだった。 現地人と銅像にまつわるエピソードがある。戦局の悪化にともない金属の供出がはじまると、なんとしても八田の像を守らなければならないと考えた現地の人々により像は隠された。それから時間のたつこと三十七年後の昭和56年、台湾政府の許可を得ることなく、再び同じ場所に台座をつけて像が設置されたのであった。 以上が八田氏と銅像のあらましであるが、再現ドラマ等があがっているようなので、興味のある方はyoutube等で検索されたし。 さて、その像の設置後73年後の今、心無い人の手によって無残に破壊されたのである。私たち人間は、偉人・先人の足跡をたどり、感銘を受け、かくあらんと目標にかかげ努力を重ねる中で、より良き今日と未来を作り上げていくものである。ゆえに、厳然たる事実に目を向けず、客観的視座を持つこともなく、軽挙妄動によってこれを蔑ろにするは、自らに唾する行為であると考える。今回は幸いにして犯人が捕まったようであるが、今後二度とこのようなことがないことを祈る。 最後に長文お付き合いくださいましてらいがとうございました。日台の鎹 (かすがい) である八田氏をこれからも顕彰したいと思うし、みなさんにも広くしっていただきたいと思う。

今そこにある危機

北朝鮮の暴走によって、日本は危機的状況に追い込まれつつある。

日本のおかれている状況について比較的詳しく記事を書いているのは産経新聞だと思う。熱心な読者にはおさらいになるが、北朝鮮の暴走によって浮き彫りになった日本の問題について書く。

まず、アメリカと半島国家の間で起ころうとしている戦争に、我が国が巻き込まれようとしていると、多くの日本人が考えている点を挙げたい。
いやそうではなく、我々は当事者国なのだ。17日の産経朝刊だったか、日清戦争にいたる経緯について簡潔にまとめられていた。当時の日本の為政者は、地政学的観点から朝鮮半島を日本の利益線の内側に位置付けていたが、それは朝鮮半島が不安定化すれば日本海を挟んで隣接する日本の安全は揺らいでしまうから何とかしなければならないと考えたからである。安定化のための介入の結果起きたのが日清戦争であり、日露戦争である。
いまの北朝鮮の問題と何が変わろうか。核搭載ICBMの開発に成功すれば、極東におけるアメリカの軍事力プレゼンスは低下する。北朝鮮は、軍事力を背景にその時日本に何を要求するのだろうか、想像するのも恐ろしい。
朝鮮半島有事は、我が国の有事でもある。

北朝鮮の様々な攻撃に対処できない。
潜入工作員が重要インフラにテロをしかけてきたらどうなるだろうか。原子力発電所には、武器をもった警備員が配置されていない。あるいは通勤時間帯の地下鉄に毒物を持ち込まれたらどうなるだろうか?必要な法整備がすすめられず、諜報機関を軽視してきたツケがめぐってきた。人の多い東京ならどこでも、工作員は効果的なアクションが可能である。
北朝鮮が力の象徴とする弾道ミサイルなどは対処できないものの最たるものである。正確を期していえば撃ち落とせないわけではない。しかし日本を射程におさめたニ百発を超えるミサイルによって飽和攻撃が行われた場合、日米が協力してその迎撃にあたったとしても、そのすべてを撃ち落とせるわけではない。
日本のイージス艦一隻が一度に追いかけて迎撃のできる弾道ミサイルは1発である。アメリカはアップデートされたイージスシステムを搭載しているので、一隻あたり10程度の目標を同時攻撃できるが、飽和攻撃に投入されたミサイルのすべてを撃ち落とせるわけではない。
日本国本土の主要都市・基地周辺には、大気圏内の日本上空で弾道ミサイルを撃墜することのできるPAC‐3が配備されている。しかしこれとて万能ではない。上空で弾道ミサイルを撃ち落とせば、破片や毒ガス兵器などの内容物が主要都市に降り注いでくるのである。もし核弾頭がその中にあって上空で爆発すれば、EMP(電磁パルス)を生じ、航空機が制御不能に陥るのみならず、インフラをはじめ重要施設の電子機器が破壊されてしまうだろう。万が一核弾頭が山手線内に着弾すれば、少なくとも山手線内は灰燼に帰す可能性が高い。

難民の問題もある。戦争がはじまれば、在留邦人の引き上げはもちろんのこと、日本に避難してくる朝鮮人も存在するだろう。その数は数十万あるいは数百万人にも上るかもしれない。果たしてこれだけの人間を引き受けられるだろうか。

しかも北朝鮮の問題は先送りすればするほど、日本を含む関係国の被害と事後処理が大変になる。

果たして、北朝鮮に平和裏に核兵器を放棄させることができるであろうか。私は極めて難しいと考える。北朝鮮は(中国もだが)力こそが、自分たちの行いを正当化させ、生存権を確保せしめ、相手を従えさせることのできる唯一の手段であると確信している。ゆえに、彼らはその力を手に入れるために必要なありとあらゆる犠牲を許容するであろう。
もし今回、アメリカが軍を引くことがあっても、朝鮮半島有事は遅かれ早かれの既定路線なのである。

(大きすぎる授業料を払うかもしれないことによって)我々が学ばねばならないことは、平和のために真面目に軍事を学びそのバランスをとる努力をしなければならない現実についてである。政治家はもちろんのこと、国民も義務教育をはじめ様々な段階で軍事の基本について学ぶ必要があったのだがそれをしてこなかった。アメリカに軍事を依存してきたことと不勉強の代償であるが、国政の場で日本の安全を確保するために必要な戦略・戦術について語れる政治家は少ない。また当然国民も関心を示さない。だから必要十分な防衛措置が講じられないまま、北朝鮮に対しても核開発を途中で挫折させるような、かつてイスラエルがイランに行った妨害工作のような対処を講じることができなかった(中には防衛的先制攻撃とは認められないものもあったが)。

われわれに降りかかる火の粉はこれだけではない。数年内には西南諸島でも何かしらの動きがあるといわれている。この先ひとりでも多くの国民の生命を守るために、今回の騒動を契機として、平和のための軍事について真剣に語る機会・学ぶ機会を増やさねばらなないと考える。