講演会成果報告並びに集団的自衛権に関する閣議決定

「日本の自立、高知の再生」vol.02 無事に終えることができました。
日曜の多忙の時間にもかかわらず、ご参集くださいました皆様に心より御礼申しあげます。

講師としてお招きした伊藤哲夫先生は、保守のしっかりしたシンクタンク、情報発信源が無くてはならないという使命感から、今から30年前に日本政策研究センターを立ち上げられました。
今日までたくさんの政治家と交流をし、彼らのみならず日本国家に対して多大なる貢献をされております。私と先生の出会いは、日本会議を中心とするグループ主催による講演会でありまして、以後、月刊誌「明日への選択」の購読を行い、本部で開催されている勉強会等にも参加させて頂いております。

今回は伊藤先生の日本国憲法改正に関する考え方をみなさんに聞いていただきたくこのたびの運びとなりました。

伊藤先生のお話はやはり大変わかりやすい。集団的自衛権の行使にかかわる解釈改憲の話から現行憲法の問題についてお話し頂きました。

まず昨今のマスコミや解釈改憲反対論者たちは、安倍政権が戦争をするために解釈改憲を行おうとしているとの論調をとっているが、その前提はおかしい。政府・与党による再三の説明は、戦争が起きないように、抑止効果を高めるために一連を手続きをとっているのである。また歴史の教訓や安全保障環境に関する国際情勢動向についても充分に注意を払っていかなくてはならない。

昨今の中国やロシアの動向は、第二次世界大戦を引き起こしたドイツの動きに似ているという。第一次世界大戦で繰り広げられた国民国家による国家総動員戦争によって、たくさんの命が失われたことに対する反省から、戦後は第二次世界大戦後以上の反戦・厭戦気運が高まりを見せた。この間隙を突く形で台頭したのがヒトラー率いる国会社会主義ドイツ労働者党である。ヒトラーは、オーストリア在住のドイツ系住民の保護を名目にドイツ軍を同国内に進駐させ、オーストリア併合を成し遂げる。これを制止すべき立場にあるイギリスやフランスをはじめとする周辺諸国は、第一世界大戦後の厭戦気運と戦争は起きないとの楽観的見通しのもと十分な干渉を行わなかった。これに味をしめたドイツは、チェコ・スロバキアに対してもドイツ系住民保護を名目にズデーテン地方の割譲を迫る。イギリスとフランスの首相の仲立ちによって、チェコ・スロバキアはドイツが軍事侵攻をしないことを見返りにズデーテン地方の割譲を決定する。いわゆるミュンヘン協定である。一連の出来事によりイギリス・フランスによる軍事介入の恐れがないことを確信したヒトラーは、その後、チェコ・スロバキア内での独立運動を扇動し、同国の解体を行い、ついにチェコ・スロバキアは消滅してしまうこととなる。次の目標をポーランドに定めると、同国との不可侵条約を破棄し、ドイツとの不可侵条約を締結。1939年9月1日にポーランド攻撃を開始した。これを受けて、イギリス・フランスは9月3日にドイツに宣戦布告をする。これが第二次世界大戦のはじまりである。

どうだろうか、非常に既視感の強いお話ではないだろうか。世界各国では、いまの中国が当時のドイツのようだと囁かれている。中国は国境を接する周辺諸国に対して、これは元来自国領であるとの主張を行い、南沙諸島しかり軍事侵攻を行って実効支配を繰り広げている。日本に対しては沖縄・尖閣諸島をめぐって様々な圧力がかけられていることは周知の事実である。このような中国にとっては、昨今のシリアやウクライナ問題に対する国際社会の対応、とりわけアメリカの動きは好ましいものであろう。

中西哲県議のブログにもある通り、アメリカの軍事費の削減、オバマの「アメリカは世界の警察官ではない」発言等を受けて、中国の膨張政策はますます活発化の様相を見せている。日本にとっても中国の動向はもちろん脅威であるが、さらには、アメリカのアジアにおける軍事的プレゼンスを補完する形で防衛戦略を構築し、アジアの安定、日本の安全保障環境の充実を図らなくてはならない局面にある。

アメリカが日本縁辺のきな臭い地域において情報収集を行う軍用機(偵察機)を運用しているがこれには当然護衛機も必要となってくる。関連して後方支援等も必要であろう。彼らがリスクに晒されているのに、あるいは攻撃を受けた際に、当事者とも言える日本が何もしないというのではお話にならない。そのような安全保障体制というものは本当に機能するのかと言う話も出てくるはずである。

以上が集団的自衛権に関するお話である。憲法については、倉山満先生の講演を紹介した内容と重複する部分がある。マッカーサーは初期対日方針に従って占領政策をすすめ、マッカーサー・ノートによって憲法の骨格を指示した。
その主たる目的は、日本をアメリカはじめ連合国に対して二度と逆らえない国にすること、アメリカの属国化することにある。サンフランシスコ講和条約発効以降、我々日本人は、いくらでもこれを訂正する機会はあったわけであるが、今日まで遂に成し遂げることができなかったし、そういった世論も充分に醸成することができていない。GHQの占領政策がいかに効果覿面であったかということか。昭和憲法破棄、明治憲法復活をしてはどうかという質問に対しては、建物の耐震化に例えて見事な返答をしていた。例えば、将来襲い来る地震に耐えられない建物に住んでいるとする。貯蓄は耐震化するには足りるが、新築を考えるには程遠い状況にあるとする。そのような状況で新築という選択肢はとりえない。これは昭和憲法破棄、明治憲法復活が現実的でないということを示唆した話だ。

さて、ここまでが私の補足を加えつつ伊藤哲夫先生のお話概略である。
そして昨日、7月1日の夕刻、安倍内閣によって集団的自衛権行使にかかわる解釈変更の閣議決定が行われた。昭和21年の吉田内閣から、昭和56年の鈴木内閣までの間に行われた6度の解釈変更に加えて、今回で7度目の変更となる。その解釈の範囲は、1959年の砂川事件最高裁判決によって示された『9条は「わが国が主権国として有する固有の自衛権を何ら否定して」おらず「わが国が、自国の平和と安全とを維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置を執り得ることは、国家固有の権能の行使であ」る』との司法判断を超えるものではない。昨今巷で立憲主義の危機、解釈改憲言語道断などと声高に叫ぶ人たちがいるが、もう少しきちんと勉強をして、正しい情報発信を心がけてもらいたいものである。

何にせよ一連の結果は、戦争が起きないよう抑止効果をいかに発揮させるか、国家の安寧をいかに担保していくかということを真摯に考えたならば、必然的にたどり着くところであろう。まだまだゴールは言い難く、また1952年4月28日サンフランシスコ講和条約発効から62年という長い時間を費やしてしまったが、今回の一歩が意義ある一歩であることには違いない。

自衛官候補生課程修了式

平成26年度自衛官候補生課程修了式および記念会食に参加しました。三ヶ月前、三翠園入校式で見た候補生は、夢と情熱に溢れつつも初々しさを感じさせる容貌でした。今日の彼らは厳しい三ヶ月の訓練を経て、日に真っ黒に焼けた、精悍かつ頼もしい姿に生まれ変わっていました。これからそれぞれの赴任先で後期の訓練課程と職務に励まれるそうです。日本の自存自立と国民の安全、安心の為に、時に自らの危険を顧みず尽力くださっております彼らに対し、心から感謝を申し上げるとともに、ますますのご活躍を祈念申し上げます。

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古事記勉強会

ここ数日のうちに「ブログ拝見しています」とのありがたいコメントを何人からか戴いたので、私の中のブログ執筆ポイントが執筆条件を満たした次第です。

今日もいろいろありました。MOAの月例会にお邪魔をしたり、自民党青年部局の全国一斉街頭演説に参加をいたしました。その後には高知大神宮で行われた古事記勉強会、三翆園での第2護衛隊群、護衛艦「くらま」の歓迎レセプション。

中でも古事記勉強会、日本教育者連盟の代田先生のお話はいつも勉強になる。余裕のある口調、豊富な話題、その背景にはすさまじい努力とそれによって裏付けれた膨大な知識の引き出しが控えているのだろうと思う。

今日の古事記勉強会のお話は、須佐之男が天照大御神に事情説明をするために天界に昇った時のお話でした。天照大御神は須佐之男が何かよからぬ事情で天界に来るのだろうと考え警戒をします。須佐之男は邪(よこしま)な心は無いとして、天照大御神の証明せよとの言葉を受けて、誓(うけひ)をして子をうむことを提案しました。

天の安河を挟んだ二神が、それぞれ相手の身につけているものを噛んで吹き出した息から子が生まれます。須佐之男の身につけていたものから、天照大御神が生み出されたのは3人の女神。天照大御神の身につけていたものから、須佐之男が生み出されたのは5人の男神です。須佐之男はこの結果をもって「私の心が清らかであるから女神が生まれたのだ」と言います。ちなみにここで生まれた5柱の男神のうち、マサカアカツカチハヤビアメノオシホミミと呼ばれる神がはじめて肉体をもった神であり、その子が天孫降臨で有名なニニギノミコトとのことです。

勝ち誇った須佐之男は天界で大暴れを始めます。天照大御神の耕す田の畦を壊し、その溝を埋めて、新穀を召し上がる御殿に屎を撒き散らします。天照大御神はその傍若無人な振る舞いに対して咎めず、「屎のようなものは酒に酔って吐き散らしのでしょう。また、田の畔を壊し溝を埋めたのは土地をもったいないと思ったのでしょう」と良いように言います。

この寛容の姿勢について補足すると、日本人には水に流すという言葉がありますように、どこかの国のように誰かが過ちを犯したことを1000年と咎めることはありません。それは日本人が人間は本質的には善性を帯びていると考えたからです。例えば、罪という言葉は「つつみ」が縮まったものであり、やまと言葉的解釈では人間の本来の善性が覆われ(包まれ)てしまった状態を指すのだとしています。だからこの状態を正すために禊ぎという儀式が存在し、包んでいるものを濯ぐ(雪ぐ)、あるいは削ぐことによって清らかな善性が現れると古代日本人は考えたのです。なるほどねと納得できるお話です、いまでもそういう考え方は息づいていますからね。古事記のこの一節には、古代日本人から続く、相手の善性を信じる姿勢というものが表れているわけです。

もう一点、天照大御神の田の話が出たので日本人の仕事観についても補足をします。よく言われている話ですが、キリスト教圏にいる人々にとって労働とは罰であり、それはエデンの園のアダムとイブが禁忌を犯してしまったゆえに課されたのだと言われています。なので彼らはホリデーを必要とします。一方日本人にとって労働とは、勤労という言葉があるように奨励されるべき行為です。さきほどの一節にもありましたように、天照大御神ご自身が営まれている田があって、神であろうと人であろうと等しく労働に勤しむことが良いことであるとされています。このような考え方を古代から営々と守り体現されている宮家では、天皇陛下ご自身が田植え、稲刈り等を行われていらっしゃいます。これまた余談ですが、明治4年に昭憲皇太后が始められたご養蚕は、今日美智子皇后も脈々と受け継がれていらっします。ここで細々と飼育されていた古代種の「小石丸」の絹糸が、正倉院所蔵の宝物を復元するにあたり欠かすことができなかったという逸話が残されています。

さてお話を元に戻します。須佐之男の悪さはエスカレートしていきます。天照大御神の機織り場で神様の御衣服を織らせているところに、須佐之男はその機屋の屋根に穴を開け、天の斑馬の皮を逆さに剥ぎ取って落とし入れます。すると天の機織女(あめのはたおりめ)はこれを見て驚き、梭(ひ)で陰部を刺して死んでしまいます。

機織りとは経糸(たていと)と緯糸(よこいと)を組合せて布を織り上げることを言います。ここから転じて、ものごとのいきさつのことを経緯と表します。仏教において経論という言葉がありますが、これは世の中の縦(経)の流れ、理について明らかにするという意味を持ちます。含蓄のあるお話ですね。天の斑馬(フチコマ)とは、斑目模様の馬のこと。馬は速く走ることから時の流れや、進み方を意味する言葉として使われることがあって、斑目が過去と未来(黒と白)と解すれば天の斑馬とは時間の概念ということになります。皮を逆さに剥ぎ取って落とし入れるとはつまり時間が遡る状態、あるいは止まっている状態、めちゃくちゃな状態を指すのだろうということです。いろんな解釈があるようですから、個々納得のいく解釈を探せば良いのだろうと思います。そして最後に、機織りの道具である梭(ひ)とは横糸とする糸を巻いた管を舟形の胴部の空所に収めたもののことであり、これが機織女の女性の陰部(ほと)、つまり生命の生まれ出るところに刺さったとのことです。やまと言葉的解釈によると「ほと」とは「ほ」・・・火、「と」・・・場、とする聖なる場所を表す言葉だそうです。イザナミが最後に生み出した子は火の化身であり、それが「ほと」を焼きイザナミを死に至らしめてしまうお話は有名ですね。

このあとは有名な天岩戸のお話に繋がるわけですが、代田先生の今回のお話はここまででした。次回は7月13日13:30から高知大神宮にて開催されます。参加費は1,000円。ご興味のある方はぜひお越しくださいませ。

古事記とは関係ありませんが、代田先生は第16代仁徳天皇のお話もご披露されておりました。良いお話ですので紹介いたします。

仁徳天皇は5世紀前半に実在した方とされています。
仁徳天皇が即位されてから4年目、高台に登られて家々を見下ろされた時にどの竈(かまど)からも煙が出ていないことに気づかれます。これを受けて国民は苦しい生活をしているのだからと3年間年貢を免除することにしました。その間に、御衣服や宮殿はみずぼらしいものになってしまいましたが、そのままにしておいたということです。そして3年後に再び高台に登られたとき、あちこちの竈から煙が立ち込めていることを見届けます。その時に仁徳天皇は「朕はすでに富んだ。嬉ばしいことだ」と仰られます。

高き屋にのぼりて見れば煙けぶり立つ民のかまどはにぎはひにけり(新古707)

皇后陛下は不思議に思い、「私たちの住んでいる皇居の垣は崩れ、雨漏りもしているのに、どうして富んだといわれるのですか」と問われます。仁徳天皇は、「政事は民を本としなければならない。その民が富んでいるのだから、朕も富んだことになるのだ」とお答えになりました。そのころ、諸国の民より「宮殿は破れているのに、民は富み、道にものを置き忘れても拾っていく者もありません。もしこのまま、税を献じ、宮殿を修理させていただかないと、かえって天罰が下るでしょう」といった申し出がたびたび行われるようになります。さらに3年間の年貢の免除を行った後に、この言を受け入れて宮殿の修理をお許しになったそうです。

その後はともうしますと、「民、うながされずして材を運び簣(こ)を負い、日夜をいとわず力を尽くして争いを作る。いまだ幾ばくを経ずして宮殿ことごとく成りぬ。故に今に聖帝(ひじりのみかど)と称し奉る。みかど崩御ののちは、和泉国の百舌鳥野のみささぎに葬し奉る」ということで、日本最大の前方後円墳・百舌鳥耳原中陵がお墓が作られたのでした。

事程左様に仁徳天皇はじめ、初代の神武天皇以来、国民を「おおみたから」と呼び、大切にされました。天皇は国民を慈しみ、国民は天皇を敬愛する、天皇と国民は家族である。これが日本人が一貫して持ち続けた理想的日本の在り方です。このようなお話は、古事記、日本書紀、様々な和歌や歴史的事実等を通してだれでも知ることができますので、是非ともお勉強してみてください。

【講演会】日本の自立、高知の再生 vol.02 講師 伊藤哲夫先生

保守のオピニオン・リーダー、伊藤哲夫先生を講師としてお迎えします。
なぜいま憲法改正なのか、日本が自立するとはどういうことだろうか。その答えを得て、対岸の火事ではなく身近な問題として捉える人が一人でも増えることが、日本の存立、地方の再生につながるということを実感していただきたいと思います。
皆様の奮ってのご参加お待ちしております。

日時:平成26年06月29日 14:00-16:00
場所:高知市かるぽーと 11F 大講義室
参加費:500円

伊藤哲夫 日本政策研究センター代表
安倍総理や故・中川照一先生をはじめとして多くの志ある政治家が師事。著書には、憲法かく論ずべし,教育勅語の真実,日本国家の「かたち」を考える,明治憲法の真実など

【講演会案内チラシ】日本の自立、高知の再生(PDF)

勉強会『日本の自立、高知の再生』

標記の通り勉強会を開催します。以下詳細です。

テーマは『日本の自立、高知の再生』 vol.01
日本の閉塞感はどこからやってくるのか?これを紐解けば高知をはじめとする地方再生の糸口が見えてくる!

日時:平成26年5月25日(日) 17:30~ (1時間)
場所:日航高知旭ロイヤル2F

勉強会後、5Fビアガーデンにて懇親会(懇親会費5,000円)を開催予定です。勉強会または懇親会に参加ご希望の方は、下記メールアドレスまでお名前・ご連絡先を添えてご連絡ください。みなさんのご参加お待ちしております!
mail

 

なお、6月28日(土)午後には講師を迎えてvol.02を開催予定です。詳細が決まり次第ご案内させていただきます!

5月3日は何の日か?

今日は例年通り日本会議主催の日本国憲法について考える勉強会に参加。
過去、伊藤哲夫先生、百地章先生とそれぞれ大変刺激的なお話をいただいたわけですが、今回はさらに刺激的な口調と斬新な切り口でご講演くださいました、その講師の名は倉山満先生。

さて、今日は何の日かと聞かれれば、ちょっと気の利いた人ならば憲法記念日と答えるであろう。しかし倉山先生は違う。今日は5月3日なのでゴミの日であり、そのような日に悪臭漂うゴミのような日本国憲法をありがたく護持するやつらは最早病気なのだと言う。そのゴミのようなものを改憲したとしてもゴミはゴミなので断固受け入れられないとのこと。そもそも日本国憲法は、アメリカが日本を弱体化するために行った占領政策の一環の中で作られたものである。マッカーサーの落書きとも言えるようなもので、その前文の稚拙さは有名なもの、後生大事にするなど到底受け入れられるものではない。本来は改憲などではなく新憲法を制定(または旧帝国憲法からの改正)すべきだということだ。しかも先生に言わせれば、戦争でもおきない限り憲法改正させることはできないとのこと。その根拠は、日本国憲法にある誤植ですら今日までの間に直すことができなかったのだ、何をか言わんやとのことである。ぐうの音も出ない話である。

先生の言う誤植とは、日本国憲法第七条 四 国会議員の総選挙の施行を公示すること。の部分を指している。気づかれただろうか?総選挙をするのは衆議院だけであって、参議院は過半数の改選を3年毎に行うことになっているからおかしいと。二年くらい前に読んだ本にこの誤植のことについて書かれていた。マッカーサーよろしくGHQによって一週間で作られた憲法ですからね・・・情けないことに戦後の憲法学者はこの誤植をはじめ、日本語として不自由ですらある日本国憲法をあれこれ解釈することで運用している。倉山先生曰く、こんな誤植はさっさと直すべきなのにそれすらできていない。私が護憲派であればさっさとこの誤植を理由に憲法改正を行って、日本人の意志によって改憲されたということをもって名実ともに日本の憲法にしてしまうとのこと。ゴミはゴミからはじまり大変興味深い示唆である。戦後レジームからの脱却を目的に行う憲法改正が実のところ日本を半永久的に戦後レジームに閉じ込めてしまうのではないか、と問われればそうなのだろうと思う。自国の歴史と文化の勉強を重ねれば重ねるほど、大日本帝国憲法を知れば知るほどその思いは強まるばかりだ。ようするに保守を名乗りながらも改憲というスタンスをとる時点で、日本とはどういう国か、その国を守り残していくために憲法は、運用はどうあるべきか、ということに真に思いを致すことができていないのではないかということである。戦後の憲法と教育の洗礼を十分に受けた人々にそれができるのであろうか。氏が少なく見積もって20年かかると言ったが、昨今の流れを見ていると一世代くらいあれば間に合うのかもしれない。問題はそれまでに起こるであろう有事を乗り越え続けられるかどうか。

他にもたくさん興味深いことを言っていた
例えば昨今集団的自衛権が問題になっているがこれが問題になっていること自体がおかしいと言う。なぜならば戦後日本において、在日米軍基地というかたちで集団的自衛権は行使され続けているのだから。朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争といった代表的なものから、第二次世界大戦後アメリカが起こしたすべての戦争に日本は協力しているのである。ベトナム人民解放軍にとって、アメリカの兵站を支える在日米軍基地は脅威であり、その設置協力者である日本もまた敵である。裏で糸を引いているロシアが攻撃してこなかったのは僥倖と言うほかない。日本が国内的に集団的自衛権は行使していないと主張しても、外の世界ではまったく通らない話なのである。いや、あなた何度も行使してるでしょ、と・・・・

さて、書き続けているときりが無さそうなのでここらあたりでご容赦いただきたい。倉山先生のお話は大変勉強になった。ただ、あの会場に集まるような意識の高い人には問題ないのだが、何の予備知識のない人間には厳しいところがあるように思われる。そういった人々に対してどういう導入を設けるかが今後の課題、自分も勉強会を重ねてはいるがどうしても似たようなメンバーになりがちである。

倉山先生の新刊
帝国憲法の真実

もう一冊おすすめ 伊藤哲夫先生
明治憲法の真実

東京出張二日目

私としたことが不覚でした。東京出張一日目とタイトルを付けてしまったら、必然的に二日目を書かなくてはいけなくなるのでした・・・orz

午前中は空き時間を利用して東京都写真美術館へ。
東京にいた八年間、恵比寿ガーデンプレイスにそのような美術館があるとはつゆ知らず、目黒の寄生虫博物館なら知ってたんですけどね・・・

さて、目的の展示物は下岡蓮杖の写真。下岡蓮杖(1823-1914)は日本の写真撮影の開祖、黎明期ということもあって現像液の作成に大変苦労されたようです。
実のところ下岡蓮杖さんにはあまり興味がなくて、江戸時代末期から明治にかけて日常を捉えた写真を見たかったのです。ネットのアーカイブなどで見かける写真がそこかしこにありました。人間を被写体にした写真では、いずれの方もカメラに目線を向けていないのが印象的でした。その理由としては長時間目を開けていなければいけなかったからとか、構図的な問題だとか諸説あるようです。当初は興味があまりなかった下岡蓮杖さんですが、画家⇒写真家⇒画家(主に水墨画)のキャリアパスを知った時、ちょっと親近感を感じてしまいました。画家さんも長いことやってると写実に飽きてしまうようですからその類かなと。

午後は日本政策研究センターの30周年記念講演へ。
一つ目の講演は、NHK経営委員会のひとり、長谷川三千子先生による「戦後日本の『原点』とは何か」。戦後日本の原点をどこに求めれば良いか?と聞いて答えられるひとはそうそういないだろうと思う。ちょっとひねりが聞いている人ならば日本国憲法と答えるかもしれない。さらに左派の人ならばポツダム宣言や9条などと熱く語るやもしれない。そもそも戦後日本の原点という言葉自体が保守には受け入れがたいもので、首を傾げる人もいるかもしれない。しかし、戦後日本の原点は確かに存在していたのだ。それは世間一般には人間宣言で知られる昭和二十一年一月一日の昭和天皇による「年頭の詔書」だと長谷川先生は言う。

年頭の詔書
ここに新年を迎ふ。顧みれば明治天皇明治の初国是として五箇条の御誓文を下し給へり。曰く、
一、  広く会議を興し万機公論に決すへし
一、 上下心を一にして盛んに経綸を行ふへし
一、 官武一途庶民に至る迄各々其の志を遂け人心をして倦まさらしめんことを要す
一、 旧来の陋習を破り天地の公道に基づくへ
一、 智識を世界に求め大いに皇基を振起すへし
叡旨公明正大、また何をか加へん。朕はここに誓いを新たにして国運を開かんと欲す。

国是:国の基本方針、万機:天下の政治、公論:世間一般の意見、経綸:国家の政策、一途:一体、旧来の陋習:昔からの悪い習慣、皇基:天皇が国家を治める事業の基礎、振起:ふるいおこす、叡旨:天皇(ここでは明治天皇)の考え

年頭の詔書についての昭和天皇のお考えは昭和52年に明らかにされている。

記者「詔書(昭和21年の”新日本建設に関する詔書”)のはじめに五箇条の御誓文を入れられたのは、陛下ご自身のご希望でしょうか」

昭和天皇
「それが実は、あの詔書の一番の目的であって、神格とか、そういうことは二の(次の)問題でした。当時、アメリカその他の諸外国の勢力が強く、日本が圧倒される心配があったので、民主主義を採用されたのは、明治天皇であって、日本の民主主義は決して輸入のものではないということを示す必要があった。日本の国民が誇りを忘れては非常に具合が悪いと思って、誇りを忘れさせないために、あの宣言を考えたのです。」

日本に生まれ、日本人の家長である天皇陛下と皇室を戴いていることに只々感謝。戦後日本の原点、確かに。と素直に受け入れられるお話でした。長い長い年月の間に変わるものもあれば変わらないものもあるのです。日本の良き伝統と文化は日本の未来のためにも守らなければいけません。

さて、ここで気になるのが「旧来の陋習」という部分。長谷川先生によるとこれは儒教のことを指しているとのこと、なるほどなるほど。本居宣長はじめ国学者による国学の台頭とともに儒教を忌避する流れが生じていた時代でもありますね。教育勅語作成にあたっても、井上毅は儒教色や宗教色を取り除く努力をしています。

二人目の講師は古森義久先生(産経新聞ワシントン駐在客員特派員)による「日本の自立と安倍外交の課題」でした。古森先生が保守に転向するきっかけとなったベトナム戦争の経験のお話は大変興味深いものでした。古森先生は、ベトナム戦争当時は毎日新聞の記者で、御多分にもれず自虐的な歴史を教わったノンポリだったそうです。衝突の激しい地域に入って戦況をレポートするということが仕事だったということですが、そこで頭をガーンと殴られるような衝撃的な経験をしたとのことでした。自虐史を学んでいた彼としては、日本人は現地人に歓迎されないものと思い込んでいたそうですが、実際は全く逆の展開。現地で会ったお年寄りが言うのには、日本人は厳しかったが、大変優しく礼儀正しい人々であったとのこと。褒められるのが得意ではないわれわれとしてはこそばゆいお話ですね。

さて、その他興味深かった話として、当時反戦気運の高かった日本では、反アメリカ、北ベトナム解放軍寄りの報道が行われ、多くの日本国民がベトナム戦争を民族解放戦争として理解していたとのこと。しかし実際にはベトナム人による対共産主義の戦争であって、アメリカと協力し、必死に抵抗していたことを現地を見て回る中で理解したのだという。残念ながら戦況は芳しくなく、南ベトナム政府は敗北し殲滅させられることになったのでした。北の解放軍によって南ベトナム政府の官邸に「独立と自由より貴重なものはない」との横断幕が掲げられると、日本で「日本の平和教育」を受けてきた古森先生は、平和より尊いものがあると考える人々がいることに大変なカルチャーショックを感じたそうです。

首都サイゴン占領を報じる際には、「サイゴン解放」と「サイゴン陥落」の見出しのどちらが適当な表現かということで左派対右派の論争がしばらく続いたそうです。一応の決着を見たのは、旧南ベトナム政府寄りの立場を採っていた人々がその後国内で差別的な扱いを受けて国外脱出したことによるそうです。彼らはボート・ピープルと呼ばれ、200~300万人に達しました。

古森先生は、これらの経験から2つの誤りに気付いたという。
ひとつは日本の戦後教育の誤り、そして2つ目は自己矛盾していると前置きをしてマスコミの誤りとおっしゃいました。会場は当然笑いに包まれたわけですが、その世界にいた人のお話ですのでよくよく考えなければいけないお話ですね。ほかには平和に対する錯誤というものがあって、これらが相俟って今日の日本の国の歪みにつながっていると総括されていました。

お話の主旨は目新しいものではありませんでしたが、実体験の有無の差というものは大変大きなものだと改めて痛感させられました。

日本政策研究センターでは、『明日への選択』という月刊誌を発行しています。時事ネタなどについて自身のスタンスを明らかにする際に大変役立つ一冊ですので購読をおすすめします。

高市早苗政調会長との意見交換会

4月20日、中谷元代議士の国政報告会に先立って、高市早苗政調会長との意見交換会が行われたので出席しました。

総裁、幹事長、政調会長の党三役と呼ばれる人たちの移動には警護が付きます。そのようなことから会場となった新阪急周辺や建物内の経路上には県警の方々が立たれていました。いつもありがとうございます。

高市早苗政調会長からは全国の有効求人倍率が0.4から1.05、年金の運用益が20兆円利益が出たとの話がありました。本県は有効求人倍率0.8と過去最高の数値を示していますが、1超えや手取り感アップにはまだまだの道のりです。

以下政調会長との質疑について、メモした範囲で概略を記します。

-オーストラリアEPA交渉の結果を踏まえ、TPP交渉のゆくえについて

米と乳製品守れたことは評価。牛肉は厳しい内容もあったが、メインの冷凍肉については十分な期間を置いたこと、セーフガードを導入したことなども評価できる。TPPについては、交渉内容は党の承認がなければ閣議決定も行えない。国会の議決もいるということで、守るべき国益はしっかり守る。

-農協改革について、総合事業によって運営していることを踏まるように

政府の規制改革会議だけでなく、党本部でもみなさんの意見を踏まえてしっかり議論していく。

-燃油高騰対策

一年延長しました。は来年に向けて内容は引き続き検討していきます。

-JA支所の施設老朽化、津波移転等への政府支援

現時点では直接メニューがないので、強い農業づくり交付金などを活用していただきたい。

-医療介護の確実な提供のため、1.特定行為に係る研修制度の実現 2.労働条件の改善 3.人材確保 4.(メモできず) について配慮願いたい

1. しっかり法整備をしていく。2. 国が策定した指針に基づいて、各医療機関が改善計画を策定。医療機関にもしっかり要望していただきたい。3. 訪問看護介護、認知症対策。どのくらい看護士が必要か算定。人材確保充実については法案にもあるように、都道府県に設置される基金を充てることができる。県と計画策定に際してよくご相談ください。

-計画的なインフラ整備、安定した公共事業予算配分を

当初予算も着実にふやしている。命を守るインフラ整備しっかり進めていく。

-科学的根拠に基づく漁業資源管理をしていくべき。

(答弁メモできず)

 

ほかにも縷々質問ありましたがメモしきれませんでした。聞き取れた範囲での要約のため一部不正確な表現や理解があるかもしれません、ご容赦ください。
しかしさすが元大臣経験者、そつのない答弁との印象を受けました。

自民党県連大会

昨日は新阪急で行われた自民党県連大会に出席しました。

本県にかかわる主な議題は今後の活動方針、特に衆議院の選挙区割についてです。
結論から申し上げますと、報道等の通り小選挙区1区は山本有二代議士、2区は中谷元代議士、比例区は福井照代議士と決定しました。福井照代議士ご自身から四国比例区への転向の意志が示されたこともあってか、特に異論等はございませんでした。しかし、一票の格差に基づく議席配分がほんとうに良いのかということについては私も一言ございます。このままおなじ基準で配分や議席減を行っていけば、地方は削減、都市部は増員となり、地方の声が国政に充分に反映されなくなる懸念があります。基準の根拠となっている憲法の条文について見直しを図っていかなければならないのですが、憲法改正ともなると9条二項や天賦人権説的な人権論の見直しや環境権の設定、参議院の在り方、国体論などいくつも見直すべき点がございます。各々の議論をしっかり煮詰めることと、優先順位を定めること、さらに国民間の憲法改正の必要性を求める気運の高まりなど様々な要素が複雑に絡み合っていることから、一朝一夕に行かないのが実情です。大変歯がゆい思いをしておりますけれども、つい10年ほど前まで日本国憲法至上主義が国土を覆っていたことからすれば、大変な進歩がみられるのも事実です。焦ることなく慎重に論議を尽くし、一票の格差の問題はじめ、改正すべき点やすべきでない点、きちんと見極めて、次代にすばらしい改正日本国憲法を残すよう努めなくてはなりません。

次に大きなテーマは党員獲得の件。毎年テーマになるのですが、今年はノルマが導入されたので例年とは違う趣になりました。人に頼み事をするのが下手な私としては苦しい一年になりそうです(笑)党員を増やすことの重要性については十分認識しています。安定的な国家運営をするためには政権与党が盤石な支持基盤を持つことが重要です。ご協力をよろしくお願いいたします。

ゲストとして石破幹事長がお越しくださいました。一昔前ではまったく考えられないような単語が幹事長の口から矢継ぎ早に出る様を見て、時代の変化というものを強く感じてしまいました。それほどまでに、日本をとりまく世界および周辺情勢がより過酷な状況へと向かっているのだということです。

安倍政権へのサポート発言もありました。昨今の政権の安全保障に関する取組に対して、戦争へ近づいていっているのではないかという指摘がマスコミ等から行われているが、全くそれには当てはまらないとの弁がありました。集団的自衛権の解釈はじめすべての取組みは、よからぬことを考える集団や国家に対して、そのような企みが成功する見込みがないのみならず、行動の結果手痛いしっぺ返しをもらうことになるということをしらしめるため、つまりは平和を積極的に守るために取り組みなのであるとのことでした。安倍政権の取組みをしっかりと見ている人にとってはそうであろうと、納得のお話でした。

しかし世間一般ではそのようには捉えられていないことは事実であるので、誤解を積極的に解消していくのが我々地方党員の役割となります。頑張ってまいります。また報道等の社会的責任を大きく負う立場の方々におかれましても、戦前の愚の二の舞いをしないように、きちんとした報道を心がけて頂きたいものです。

建国記念の日を祝う高知県民の会

本年も出席しました「建国記念の日を祝う高知県民の会」
例年にも増して多くの人が来場していたように思います。若い人もちらほらと見かけました。

対外的な危機感を源泉に人々が一致結束する様には既視感を覚えます、もちろん既視感の元となる出来事のほとんどは書物の上でしか知りえないのですが。昨年末に封切りされた「永遠のゼロ」の影響も多少あるかもしれません。

今日の講師は 沖縄出身の惠隆之介先生です。陸自を出て現在は評論家として活動中です。
主な内容は、保守の人も誤解しているアメリカ統治下の沖縄の話。彼が沖縄のことを知る契機となったのは大学の研究で沖縄の医療について調べたことにあるそうです。アメリカ統治下で沖縄の医療が大きく改善し、伝染病などが下火になると、平均寿命が47歳当時→87歳今日と飛躍的に回復しました。このような統計的事実を前に、報道や教育で知らされている沖縄の姿と乖離を感じるようになり、そのギャップを解消するために自身で沖縄の歴史等を掘り下げたということです。
彼の語る沖縄は、我々の全く知らない沖縄でした。政策的側面があるとはいえ、多くの心あるアメリカ人が沖縄のために活躍される話は感動的でした。特に沖縄の看護士の基礎を築いたアメリカ人看護士が、実は高知にもゆかりある人であるというエピソードには驚きと親近感を覚えずにはいられません。

軍事的側面のお話としては、キャンプシュワブが現地人の要望によって設けられた経緯や、当時沖縄には中距離ミサイルとロケットタイプあわせて約200弱の核兵器が共産圏に向けられて配備されていたことなどが紹介されました。我々日本人は、沖縄をはじめとした核の配備を背景として、朝鮮戦争でも冷戦でも大きな戦火に巻き込まれることなく経済的発展を甘受することができたという現実を冷静に受け止めなくてはいけません。

そして今、中国は日本の迷走とアメリカの衰退を尻目に大きくその勢力圏を列島へと伸ばしつつあるわけですが、その第一列島線と第二列島線が海底資源が豊富に賦存すると目される海域をギリギリ囲むように展開されているのだ、という指摘にはなるほどな、さもありなんという思いがしました。

今回参加出来なかった方も、たびたびこのような会は開催されており、私の方でもできる限り知らせていきたいと思います。次回案内時はみなさま奮ってご参加くださいませ。

彼を知り己を知れば百戦殆うからず