歯磨き道

私は小学校の折に歯の矯正治療を受けた。
犬歯2本が生え変わらずに門歯2本の根っこを侵食していたようで、やっていなければ今頃前歯はなくなっていたのかもしれない。複雑な手術と長期にわたる治療ということで親にも金銭的負担を大きくかけてしまったなと申し訳なく思ったものだ。

さて、そういうこともあって歯を大切にしようという思いは人一倍強いような気がする。中学校の寮生仲間は知っているはずだが、かつては20分くらいかけて磨いていた。いまでも定期的にクリーニングに行き、日々の歯磨きでは効率よく綺麗にする方法を常に思案中である。

音波歯ブラシ等いろいろと試してきたが、最後は普通の歯ブラシとフロスに落ち着いてしまった。音波歯ブラシはよく歯垢が落ちるのだが、落ちるがゆえに油断が生じてしまうように思う。自分でも信じがたいが、油断のために奥歯の溝に虫歯を作ってしまった。痛恨の極み。
それから音波歯ブラシと従来の歯ブラシを併用するようになって、だったら最初から従来の歯ブラシだけでいいじゃないかといまの歯磨きスタイルに至るのである。歯ブラシもいろいろと変遷があって、かつては一般的な市販品を使っていた。しかし矯正治療をはじめてから、歯医者のすすめでヘッドが小さく毛も微細なものを使うようになった。たしかデントEXシステマ44Mとかそのあたりだったように思う。歯科用のため昔はいきつけの歯医者でしか手に入らなかった。その後も何種類か浮気を繰り返しながら、ついに市販品でこれは!というものを見つけた。デンターシステマ A41である。リンク先のレビューをいましがた読んでびっくりしたが、まったく同じことを考える人がいるではないか。44Mに負けるとも劣らない性能、さらには市販品ときた。この歯ブラシを使うようになってから、歯と歯茎の間がよく磨けるようになったと感じる。歯周病のチェックをすれば、かつては3-4mmのポケットがあったが、いまでは2mmになった。快哉。

さて、フロスとの出会いについても触れておこう。私が子供の頃、糸ようじなどは歯医者でなければ手に入れられなかったし、まわりで使っている人もまずいなかったように思う。使ってみるとその効果の大きさに感心させられる反面、手を口の中に入れて糸ようじを通す作業が大変煩雑なので自然と出番は限られてくる。持ち手のついた使い捨て糸ようじも販売されるようになってはいるが、それでは奥歯の間はどうするのだ!とメーカーに問い合わせたくなる。そこでなにか他に良いものはないかとネットサーフィンをしていたところ、ネット通販でフロスというものに出会った。たしか大学生の頃だったと思う。このフロスとの出会いが私の歯磨きライフを大きく変えた。どう変わるかはみなさんも使ってみて追体験していただきたい。フロスのない歯磨き生活はもはや考えられない、そう思う日がくるはずだ。ちなみにこのフロスタイプ、ドラッグストアには置いていないのである・・・

最近の勉強会について

書くネタがないわけではないのですが、お酒を飲んで家に帰るとそういう気力も湧くこともなく、気が付くとベッドの中でまどろんでしまっているのです。

さて、先週はいろいろとイベントづくしでした。
参議院議員宇都隆史先生による時局講演会、明推協主催による大学生との意見交換会、公民館総会に中谷元先生による集団的自衛権についての研修会、古事記勉強会。

集団的自衛権について勉強会が続いているこのごろですが、どうせやるならもう少し早めにやって市町村で関連意見書があちこちでるような事態は避けるようにすればよかったのにと今更ながらに思うわけです。しかし渦中にいるときというものは往々にして自分がどのような環境に置かれているのか捉え難く、周辺のこととなれば尚更感知し難いものです。6月定例会、閣議決定を経てしばらくたった今だからこそ、振り返ってそのように総括できるのかもしれません。

さて、この集団的自衛権行使についての解釈変更(解釈改憲ではない)のお話は、勉強すればするほどその必要性・重要性を痛感せざるを得ないわけです。平和平和と叫んでいれば戦争が起きないわけではなくて、病気にならないように病気のことを勉強して予防措置をとらねばならないように、軍事についての知識をはじめとして戦争についてよくよく勉強し、その上で必要な抑止措置を講じることが必要なわけです。

安全保障の分野において軍事力が最も効果的な抑止力として働くわけですが、さらにそこから通常戦力と核戦力に大別され、そのどちらも不可欠な抑止力の構成要素であります。

核が抑止力として十分な力を発揮することはいちいち説明の必要はないだろうと思います。通常戦力とは、前方展開能力のことであり、戦術的に見れば主として空母を伴う航空攻撃戦力と高い機動力を有する海兵隊戦力のことです。

これらが有効に発揮されるためには、これらの抑止力が有効に発揮されることを相手が合理的に判断できる能力を持っていることが求められます。その意味において内圧や外圧によって国家運営が危機的状況に陥った場合には、抑止力が有効に機能しない場合がある・・・日本近隣には潜在性をもった国がいくつか見当たりますから殊更心配ですね。そしてもうひとつは、その抑止力が有効な打撃力を有し、なおかつ強靭な生き残り性を有していることです。核ミサイル基地の地中化などは生き残り性の強化に当たりますかね。

さて、このような観点で日本の自衛隊が抑止力を有しているのか問われれば、みなさんお分かりの通りノーなのでございます。自衛隊は自衛のための必要最小限度の備えであり他国の基地を攻撃するなど全く想定されていないのであります。ということは、他の何かが日本の抑止力を担っているわけで、それこそ皆さんご存知の通り日米安全保障条約に基づくアメリカによる核の傘と米軍なわけです。

私達は抑止力が一方的に提供されていることからあまりその重要性について意識することはないのですが、しかしよくよく日本の軍備の変遷について振り返ってみると、世界情勢の変化とそれに伴うアメリカ防衛大綱の見直しが行われれば、それ相当の変化が自衛隊軍備もたらされていることが見て取れるわけであります。特に、最近のアメリカの国力の低下やオバマ大統領の「世界の警察やめます」発言などを受けて、日本としても一定、アメリカ由来の抑止力の低下分を補填する必要がでてきているわけであります。

さてそういうことで見直しが行われました集団的自衛権行使についての9条解釈変更ですが、あわせて徴兵制などのお話が出ていますので、それがいかに荒唐無稽なお話であるかについても宇土先生のお話を参考に解説を加えたいと思います。

まずそもそも軍事の分野も日進月歩であって、それなりの技術と知識がないと今日日自衛隊員として役に立たないとのことでした。それはそうですよね、兵器も進化するしIT技術などもいろいろと取り入れられていますから・・・だいたい3,4年訓練しないと使い物にならないそうです。

次に一定の年齢層が徴兵されるとして、その人件費はどのように賄うのかという財源問題があります。いまでさえ予算不足で定足数満たしていないのに・・・

さて、最後に申しておったことは憲法上の制約。憲法18条に「誰も自分の意志に反する苦役に従事することを強要されない」、とあってこれによって徴兵制はダメですよというのがいまの政府解釈だそうです。おおよそ司法判断に持ち込んでも同様の結論を得るでしょう。この条文の由来は、アメリカ合衆国憲法の追加条文だそうです・・・

というわけで徴兵制はありえないのですが、徴兵制ないと言っても国民国家において国家間戦争が起きれば総力戦になるのは当たり前のことなので、否応なく戦火に巻き込まれることは想像に難くありません。そういう最悪の事態が起きないようにということでいま抑止力の議論がされているわけですね。

また次回記事を書く機運に恵まれた際には古事記勉強会で得た雑学についてご披露申し上げたいと思います。

講演会成果報告並びに集団的自衛権に関する閣議決定

「日本の自立、高知の再生」vol.02 無事に終えることができました。
日曜の多忙の時間にもかかわらず、ご参集くださいました皆様に心より御礼申しあげます。

講師としてお招きした伊藤哲夫先生は、保守のしっかりしたシンクタンク、情報発信源が無くてはならないという使命感から、今から30年前に日本政策研究センターを立ち上げられました。
今日までたくさんの政治家と交流をし、彼らのみならず日本国家に対して多大なる貢献をされております。私と先生の出会いは、日本会議を中心とするグループ主催による講演会でありまして、以後、月刊誌「明日への選択」の購読を行い、本部で開催されている勉強会等にも参加させて頂いております。

今回は伊藤先生の日本国憲法改正に関する考え方をみなさんに聞いていただきたくこのたびの運びとなりました。

伊藤先生のお話はやはり大変わかりやすい。集団的自衛権の行使にかかわる解釈改憲の話から現行憲法の問題についてお話し頂きました。

まず昨今のマスコミや解釈改憲反対論者たちは、安倍政権が戦争をするために解釈改憲を行おうとしているとの論調をとっているが、その前提はおかしい。政府・与党による再三の説明は、戦争が起きないように、抑止効果を高めるために一連を手続きをとっているのである。また歴史の教訓や安全保障環境に関する国際情勢動向についても充分に注意を払っていかなくてはならない。

昨今の中国やロシアの動向は、第二次世界大戦を引き起こしたドイツの動きに似ているという。第一次世界大戦で繰り広げられた国民国家による国家総動員戦争によって、たくさんの命が失われたことに対する反省から、戦後は第二次世界大戦後以上の反戦・厭戦気運が高まりを見せた。この間隙を突く形で台頭したのがヒトラー率いる国会社会主義ドイツ労働者党である。ヒトラーは、オーストリア在住のドイツ系住民の保護を名目にドイツ軍を同国内に進駐させ、オーストリア併合を成し遂げる。これを制止すべき立場にあるイギリスやフランスをはじめとする周辺諸国は、第一世界大戦後の厭戦気運と戦争は起きないとの楽観的見通しのもと十分な干渉を行わなかった。これに味をしめたドイツは、チェコ・スロバキアに対してもドイツ系住民保護を名目にズデーテン地方の割譲を迫る。イギリスとフランスの首相の仲立ちによって、チェコ・スロバキアはドイツが軍事侵攻をしないことを見返りにズデーテン地方の割譲を決定する。いわゆるミュンヘン協定である。一連の出来事によりイギリス・フランスによる軍事介入の恐れがないことを確信したヒトラーは、その後、チェコ・スロバキア内での独立運動を扇動し、同国の解体を行い、ついにチェコ・スロバキアは消滅してしまうこととなる。次の目標をポーランドに定めると、同国との不可侵条約を破棄し、ドイツとの不可侵条約を締結。1939年9月1日にポーランド攻撃を開始した。これを受けて、イギリス・フランスは9月3日にドイツに宣戦布告をする。これが第二次世界大戦のはじまりである。

どうだろうか、非常に既視感の強いお話ではないだろうか。世界各国では、いまの中国が当時のドイツのようだと囁かれている。中国は国境を接する周辺諸国に対して、これは元来自国領であるとの主張を行い、南沙諸島しかり軍事侵攻を行って実効支配を繰り広げている。日本に対しては沖縄・尖閣諸島をめぐって様々な圧力がかけられていることは周知の事実である。このような中国にとっては、昨今のシリアやウクライナ問題に対する国際社会の対応、とりわけアメリカの動きは好ましいものであろう。

中西哲県議のブログにもある通り、アメリカの軍事費の削減、オバマの「アメリカは世界の警察官ではない」発言等を受けて、中国の膨張政策はますます活発化の様相を見せている。日本にとっても中国の動向はもちろん脅威であるが、さらには、アメリカのアジアにおける軍事的プレゼンスを補完する形で防衛戦略を構築し、アジアの安定、日本の安全保障環境の充実を図らなくてはならない局面にある。

アメリカが日本縁辺のきな臭い地域において情報収集を行う軍用機(偵察機)を運用しているがこれには当然護衛機も必要となってくる。関連して後方支援等も必要であろう。彼らがリスクに晒されているのに、あるいは攻撃を受けた際に、当事者とも言える日本が何もしないというのではお話にならない。そのような安全保障体制というものは本当に機能するのかと言う話も出てくるはずである。

以上が集団的自衛権に関するお話である。憲法については、倉山満先生の講演を紹介した内容と重複する部分がある。マッカーサーは初期対日方針に従って占領政策をすすめ、マッカーサー・ノートによって憲法の骨格を指示した。
その主たる目的は、日本をアメリカはじめ連合国に対して二度と逆らえない国にすること、アメリカの属国化することにある。サンフランシスコ講和条約発効以降、我々日本人は、いくらでもこれを訂正する機会はあったわけであるが、今日まで遂に成し遂げることができなかったし、そういった世論も充分に醸成することができていない。GHQの占領政策がいかに効果覿面であったかということか。昭和憲法破棄、明治憲法復活をしてはどうかという質問に対しては、建物の耐震化に例えて見事な返答をしていた。例えば、将来襲い来る地震に耐えられない建物に住んでいるとする。貯蓄は耐震化するには足りるが、新築を考えるには程遠い状況にあるとする。そのような状況で新築という選択肢はとりえない。これは昭和憲法破棄、明治憲法復活が現実的でないということを示唆した話だ。

さて、ここまでが私の補足を加えつつ伊藤哲夫先生のお話概略である。
そして昨日、7月1日の夕刻、安倍内閣によって集団的自衛権行使にかかわる解釈変更の閣議決定が行われた。昭和21年の吉田内閣から、昭和56年の鈴木内閣までの間に行われた6度の解釈変更に加えて、今回で7度目の変更となる。その解釈の範囲は、1959年の砂川事件最高裁判決によって示された『9条は「わが国が主権国として有する固有の自衛権を何ら否定して」おらず「わが国が、自国の平和と安全とを維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置を執り得ることは、国家固有の権能の行使であ」る』との司法判断を超えるものではない。昨今巷で立憲主義の危機、解釈改憲言語道断などと声高に叫ぶ人たちがいるが、もう少しきちんと勉強をして、正しい情報発信を心がけてもらいたいものである。

何にせよ一連の結果は、戦争が起きないよう抑止効果をいかに発揮させるか、国家の安寧をいかに担保していくかということを真摯に考えたならば、必然的にたどり着くところであろう。まだまだゴールは言い難く、また1952年4月28日サンフランシスコ講和条約発効から62年という長い時間を費やしてしまったが、今回の一歩が意義ある一歩であることには違いない。

自衛官候補生課程修了式

平成26年度自衛官候補生課程修了式および記念会食に参加しました。三ヶ月前、三翠園入校式で見た候補生は、夢と情熱に溢れつつも初々しさを感じさせる容貌でした。今日の彼らは厳しい三ヶ月の訓練を経て、日に真っ黒に焼けた、精悍かつ頼もしい姿に生まれ変わっていました。これからそれぞれの赴任先で後期の訓練課程と職務に励まれるそうです。日本の自存自立と国民の安全、安心の為に、時に自らの危険を顧みず尽力くださっております彼らに対し、心から感謝を申し上げるとともに、ますますのご活躍を祈念申し上げます。

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6月定例会

平成26年度6月定例会。始まったのは約一週間ほど前なのですが、遅筆ゆえに今日までかかってしまいました。

様々な議案の中でも世間一般に注目を集めているのが県交通・土電の問題。

個人的に関心を寄せているのが国土強靭化基本法に基づく国土強靭化地域計画の策定について。全国に先駆けて本県がモデル地域に選定されたとのことで、その責任の重さから身の引き締まる思いです。

東日本大震災を契機として産声をあげた本法ゆえに、また「防災・減災に資する」と冠がついているために災害への備えに主眼がおかれがちです。私としては「強くしなやかな国土づくり」のフレーズを通して本法の最終目的地を見るように心がけたほうが良いように思います。

強くしなやか…という言葉からは、日本の国土やそこに住む人々、文化が多様性を保ち、環境と調和し、均衡のとれた発展をしている姿を想像させられます。本法の生みの親でもある京都大学の藤井聡先生はリダンダンシーという言葉を使っていました。この言葉の通り、日本が様々な外的・内的ストレスにさらされ、時にある部分が機能不全に陥ったとしても、しなやかさゆえに他の部位が代替機能を果たすことができるような国土や行政や社会のシステムを作らなくてはならないのだろうと思います。

というのは通り一遍のお話で、本法のポイントは

  • 国土総合開発法・国土形成計画法の後継
  • 公共投資による景気対策(ケインズ理論)
  • 都市から地方への富の再分配
  • 事前防災・減災対策

と考えます。ようするに小泉改革からの政策転換。小泉政権においては、小さな政府、無駄をなくす、改革といったフレーズのもと、様々な行財政改革が推し進められました。これらを通底するものは経済的合理性を追求する考え方であって、経済的にペイしない施策は問答無用に切り捨てられてしまうという負の側面も持ち合わせていました。

人口が少なくさらに家々が点在する地方などは、経済的合理性の網にかかるはずもありません。
公共投資が減れば地方の域内キャッシュ・フローは減少し、景気も低迷、雇用の受け皿を失い、若者は仕事を求め都市へ流れて、地域の経済のパイはますます縮小するという負の循環に陥りました。

このような状態を打開するべく、かつて日本が行っていた都市から地方への再配分機能を復活させ、その分配でもって、新しい国土軸を定め、地方拠点都市の整備を行うことで地方の活性化につなげること、さらには大規模災害に粘り強いものにしなければならない。老朽化したインフラの更新や長寿命化なども合わせて行うこと、これが国土強靭化基本法の目指すところと理解しております。これからの日本の国土の形、地方の趨勢を決めるものですから、ただ惰性で計画を作って予算を取ってくればよいというものではありません。県版、市町村版ともに、これからの高知と日本のあるべき姿を念頭に置いて、精魂込めて作られなければなりません。

古事記勉強会

ここ数日のうちに「ブログ拝見しています」とのありがたいコメントを何人からか戴いたので、私の中のブログ執筆ポイントが執筆条件を満たした次第です。

今日もいろいろありました。MOAの月例会にお邪魔をしたり、自民党青年部局の全国一斉街頭演説に参加をいたしました。その後には高知大神宮で行われた古事記勉強会、三翆園での第2護衛隊群、護衛艦「くらま」の歓迎レセプション。

中でも古事記勉強会、日本教育者連盟の代田先生のお話はいつも勉強になる。余裕のある口調、豊富な話題、その背景にはすさまじい努力とそれによって裏付けれた膨大な知識の引き出しが控えているのだろうと思う。

今日の古事記勉強会のお話は、須佐之男が天照大御神に事情説明をするために天界に昇った時のお話でした。天照大御神は須佐之男が何かよからぬ事情で天界に来るのだろうと考え警戒をします。須佐之男は邪(よこしま)な心は無いとして、天照大御神の証明せよとの言葉を受けて、誓(うけひ)をして子をうむことを提案しました。

天の安河を挟んだ二神が、それぞれ相手の身につけているものを噛んで吹き出した息から子が生まれます。須佐之男の身につけていたものから、天照大御神が生み出されたのは3人の女神。天照大御神の身につけていたものから、須佐之男が生み出されたのは5人の男神です。須佐之男はこの結果をもって「私の心が清らかであるから女神が生まれたのだ」と言います。ちなみにここで生まれた5柱の男神のうち、マサカアカツカチハヤビアメノオシホミミと呼ばれる神がはじめて肉体をもった神であり、その子が天孫降臨で有名なニニギノミコトとのことです。

勝ち誇った須佐之男は天界で大暴れを始めます。天照大御神の耕す田の畦を壊し、その溝を埋めて、新穀を召し上がる御殿に屎を撒き散らします。天照大御神はその傍若無人な振る舞いに対して咎めず、「屎のようなものは酒に酔って吐き散らしのでしょう。また、田の畔を壊し溝を埋めたのは土地をもったいないと思ったのでしょう」と良いように言います。

この寛容の姿勢について補足すると、日本人には水に流すという言葉がありますように、どこかの国のように誰かが過ちを犯したことを1000年と咎めることはありません。それは日本人が人間は本質的には善性を帯びていると考えたからです。例えば、罪という言葉は「つつみ」が縮まったものであり、やまと言葉的解釈では人間の本来の善性が覆われ(包まれ)てしまった状態を指すのだとしています。だからこの状態を正すために禊ぎという儀式が存在し、包んでいるものを濯ぐ(雪ぐ)、あるいは削ぐことによって清らかな善性が現れると古代日本人は考えたのです。なるほどねと納得できるお話です、いまでもそういう考え方は息づいていますからね。古事記のこの一節には、古代日本人から続く、相手の善性を信じる姿勢というものが表れているわけです。

もう一点、天照大御神の田の話が出たので日本人の仕事観についても補足をします。よく言われている話ですが、キリスト教圏にいる人々にとって労働とは罰であり、それはエデンの園のアダムとイブが禁忌を犯してしまったゆえに課されたのだと言われています。なので彼らはホリデーを必要とします。一方日本人にとって労働とは、勤労という言葉があるように奨励されるべき行為です。さきほどの一節にもありましたように、天照大御神ご自身が営まれている田があって、神であろうと人であろうと等しく労働に勤しむことが良いことであるとされています。このような考え方を古代から営々と守り体現されている宮家では、天皇陛下ご自身が田植え、稲刈り等を行われていらっしゃいます。これまた余談ですが、明治4年に昭憲皇太后が始められたご養蚕は、今日美智子皇后も脈々と受け継がれていらっします。ここで細々と飼育されていた古代種の「小石丸」の絹糸が、正倉院所蔵の宝物を復元するにあたり欠かすことができなかったという逸話が残されています。

さてお話を元に戻します。須佐之男の悪さはエスカレートしていきます。天照大御神の機織り場で神様の御衣服を織らせているところに、須佐之男はその機屋の屋根に穴を開け、天の斑馬の皮を逆さに剥ぎ取って落とし入れます。すると天の機織女(あめのはたおりめ)はこれを見て驚き、梭(ひ)で陰部を刺して死んでしまいます。

機織りとは経糸(たていと)と緯糸(よこいと)を組合せて布を織り上げることを言います。ここから転じて、ものごとのいきさつのことを経緯と表します。仏教において経論という言葉がありますが、これは世の中の縦(経)の流れ、理について明らかにするという意味を持ちます。含蓄のあるお話ですね。天の斑馬(フチコマ)とは、斑目模様の馬のこと。馬は速く走ることから時の流れや、進み方を意味する言葉として使われることがあって、斑目が過去と未来(黒と白)と解すれば天の斑馬とは時間の概念ということになります。皮を逆さに剥ぎ取って落とし入れるとはつまり時間が遡る状態、あるいは止まっている状態、めちゃくちゃな状態を指すのだろうということです。いろんな解釈があるようですから、個々納得のいく解釈を探せば良いのだろうと思います。そして最後に、機織りの道具である梭(ひ)とは横糸とする糸を巻いた管を舟形の胴部の空所に収めたもののことであり、これが機織女の女性の陰部(ほと)、つまり生命の生まれ出るところに刺さったとのことです。やまと言葉的解釈によると「ほと」とは「ほ」・・・火、「と」・・・場、とする聖なる場所を表す言葉だそうです。イザナミが最後に生み出した子は火の化身であり、それが「ほと」を焼きイザナミを死に至らしめてしまうお話は有名ですね。

このあとは有名な天岩戸のお話に繋がるわけですが、代田先生の今回のお話はここまででした。次回は7月13日13:30から高知大神宮にて開催されます。参加費は1,000円。ご興味のある方はぜひお越しくださいませ。

古事記とは関係ありませんが、代田先生は第16代仁徳天皇のお話もご披露されておりました。良いお話ですので紹介いたします。

仁徳天皇は5世紀前半に実在した方とされています。
仁徳天皇が即位されてから4年目、高台に登られて家々を見下ろされた時にどの竈(かまど)からも煙が出ていないことに気づかれます。これを受けて国民は苦しい生活をしているのだからと3年間年貢を免除することにしました。その間に、御衣服や宮殿はみずぼらしいものになってしまいましたが、そのままにしておいたということです。そして3年後に再び高台に登られたとき、あちこちの竈から煙が立ち込めていることを見届けます。その時に仁徳天皇は「朕はすでに富んだ。嬉ばしいことだ」と仰られます。

高き屋にのぼりて見れば煙けぶり立つ民のかまどはにぎはひにけり(新古707)

皇后陛下は不思議に思い、「私たちの住んでいる皇居の垣は崩れ、雨漏りもしているのに、どうして富んだといわれるのですか」と問われます。仁徳天皇は、「政事は民を本としなければならない。その民が富んでいるのだから、朕も富んだことになるのだ」とお答えになりました。そのころ、諸国の民より「宮殿は破れているのに、民は富み、道にものを置き忘れても拾っていく者もありません。もしこのまま、税を献じ、宮殿を修理させていただかないと、かえって天罰が下るでしょう」といった申し出がたびたび行われるようになります。さらに3年間の年貢の免除を行った後に、この言を受け入れて宮殿の修理をお許しになったそうです。

その後はともうしますと、「民、うながされずして材を運び簣(こ)を負い、日夜をいとわず力を尽くして争いを作る。いまだ幾ばくを経ずして宮殿ことごとく成りぬ。故に今に聖帝(ひじりのみかど)と称し奉る。みかど崩御ののちは、和泉国の百舌鳥野のみささぎに葬し奉る」ということで、日本最大の前方後円墳・百舌鳥耳原中陵がお墓が作られたのでした。

事程左様に仁徳天皇はじめ、初代の神武天皇以来、国民を「おおみたから」と呼び、大切にされました。天皇は国民を慈しみ、国民は天皇を敬愛する、天皇と国民は家族である。これが日本人が一貫して持ち続けた理想的日本の在り方です。このようなお話は、古事記、日本書紀、様々な和歌や歴史的事実等を通してだれでも知ることができますので、是非ともお勉強してみてください。

【講演会】日本の自立、高知の再生 vol.02 講師 伊藤哲夫先生

保守のオピニオン・リーダー、伊藤哲夫先生を講師としてお迎えします。
なぜいま憲法改正なのか、日本が自立するとはどういうことだろうか。その答えを得て、対岸の火事ではなく身近な問題として捉える人が一人でも増えることが、日本の存立、地方の再生につながるということを実感していただきたいと思います。
皆様の奮ってのご参加お待ちしております。

日時:平成26年06月29日 14:00-16:00
場所:高知市かるぽーと 11F 大講義室
参加費:500円

伊藤哲夫 日本政策研究センター代表
安倍総理や故・中川照一先生をはじめとして多くの志ある政治家が師事。著書には、憲法かく論ずべし,教育勅語の真実,日本国家の「かたち」を考える,明治憲法の真実など

【講演会案内チラシ】日本の自立、高知の再生(PDF)

第50普通科連隊創隊8周年記念行事

本日は第50普通科連隊創隊8周年記念行事に出席しています。大変ありがたいことに小野寺五典防衛大臣にもご臨席を頂いております。閲覧式は大変壮観です、午後も展示や訓練など見所ありますのでお時間許すかたはぜひ香南市高知駐屯地へ!

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勉強会『日本の自立、高知の再生』

標記の通り勉強会を開催します。以下詳細です。

テーマは『日本の自立、高知の再生』 vol.01
日本の閉塞感はどこからやってくるのか?これを紐解けば高知をはじめとする地方再生の糸口が見えてくる!

日時:平成26年5月25日(日) 17:30~ (1時間)
場所:日航高知旭ロイヤル2F

勉強会後、5Fビアガーデンにて懇親会(懇親会費5,000円)を開催予定です。勉強会または懇親会に参加ご希望の方は、下記メールアドレスまでお名前・ご連絡先を添えてご連絡ください。みなさんのご参加お待ちしております!
mail

 

なお、6月28日(土)午後には講師を迎えてvol.02を開催予定です。詳細が決まり次第ご案内させていただきます!

5月3日は何の日か?

今日は例年通り日本会議主催の日本国憲法について考える勉強会に参加。
過去、伊藤哲夫先生、百地章先生とそれぞれ大変刺激的なお話をいただいたわけですが、今回はさらに刺激的な口調と斬新な切り口でご講演くださいました、その講師の名は倉山満先生。

さて、今日は何の日かと聞かれれば、ちょっと気の利いた人ならば憲法記念日と答えるであろう。しかし倉山先生は違う。今日は5月3日なのでゴミの日であり、そのような日に悪臭漂うゴミのような日本国憲法をありがたく護持するやつらは最早病気なのだと言う。そのゴミのようなものを改憲したとしてもゴミはゴミなので断固受け入れられないとのこと。そもそも日本国憲法は、アメリカが日本を弱体化するために行った占領政策の一環の中で作られたものである。マッカーサーの落書きとも言えるようなもので、その前文の稚拙さは有名なもの、後生大事にするなど到底受け入れられるものではない。本来は改憲などではなく新憲法を制定(または旧帝国憲法からの改正)すべきだということだ。しかも先生に言わせれば、戦争でもおきない限り憲法改正させることはできないとのこと。その根拠は、日本国憲法にある誤植ですら今日までの間に直すことができなかったのだ、何をか言わんやとのことである。ぐうの音も出ない話である。

先生の言う誤植とは、日本国憲法第七条 四 国会議員の総選挙の施行を公示すること。の部分を指している。気づかれただろうか?総選挙をするのは衆議院だけであって、参議院は過半数の改選を3年毎に行うことになっているからおかしいと。二年くらい前に読んだ本にこの誤植のことについて書かれていた。マッカーサーよろしくGHQによって一週間で作られた憲法ですからね・・・情けないことに戦後の憲法学者はこの誤植をはじめ、日本語として不自由ですらある日本国憲法をあれこれ解釈することで運用している。倉山先生曰く、こんな誤植はさっさと直すべきなのにそれすらできていない。私が護憲派であればさっさとこの誤植を理由に憲法改正を行って、日本人の意志によって改憲されたということをもって名実ともに日本の憲法にしてしまうとのこと。ゴミはゴミからはじまり大変興味深い示唆である。戦後レジームからの脱却を目的に行う憲法改正が実のところ日本を半永久的に戦後レジームに閉じ込めてしまうのではないか、と問われればそうなのだろうと思う。自国の歴史と文化の勉強を重ねれば重ねるほど、大日本帝国憲法を知れば知るほどその思いは強まるばかりだ。ようするに保守を名乗りながらも改憲というスタンスをとる時点で、日本とはどういう国か、その国を守り残していくために憲法は、運用はどうあるべきか、ということに真に思いを致すことができていないのではないかということである。戦後の憲法と教育の洗礼を十分に受けた人々にそれができるのであろうか。氏が少なく見積もって20年かかると言ったが、昨今の流れを見ていると一世代くらいあれば間に合うのかもしれない。問題はそれまでに起こるであろう有事を乗り越え続けられるかどうか。

他にもたくさん興味深いことを言っていた
例えば昨今集団的自衛権が問題になっているがこれが問題になっていること自体がおかしいと言う。なぜならば戦後日本において、在日米軍基地というかたちで集団的自衛権は行使され続けているのだから。朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争といった代表的なものから、第二次世界大戦後アメリカが起こしたすべての戦争に日本は協力しているのである。ベトナム人民解放軍にとって、アメリカの兵站を支える在日米軍基地は脅威であり、その設置協力者である日本もまた敵である。裏で糸を引いているロシアが攻撃してこなかったのは僥倖と言うほかない。日本が国内的に集団的自衛権は行使していないと主張しても、外の世界ではまったく通らない話なのである。いや、あなた何度も行使してるでしょ、と・・・・

さて、書き続けているときりが無さそうなのでここらあたりでご容赦いただきたい。倉山先生のお話は大変勉強になった。ただ、あの会場に集まるような意識の高い人には問題ないのだが、何の予備知識のない人間には厳しいところがあるように思われる。そういった人々に対してどういう導入を設けるかが今後の課題、自分も勉強会を重ねてはいるがどうしても似たようなメンバーになりがちである。

倉山先生の新刊
帝国憲法の真実

もう一冊おすすめ 伊藤哲夫先生
明治憲法の真実