しなね祭

8月25日、夏の終わりを告げる土佐神社の大祭『しなね祭』が催行されました。

24日の宵夜祭を皮切りに、25日10時の大祭、15時からの御神体の御神幸と続きます。
台風の影響で屋台や参拝者は寂しかった印象ですが、御神幸の祭には多くの方が神輿の到来を待って、その下をくぐって息災を祈念しておりました。

大祭時の『浦安の舞
舞というと古くから伝承されたものというイメージが強いのですが、浦安の舞に関して言えば、昭和15年の作品です。皇紀二千六百年奉祝会に合わせて作られたもので、昭和天皇の御製に演奏と舞を組み合わせました。

最後に、御神幸(お神輿の御旅所までの移動のこと)に傘持ちの御伴人として参加したので、関係写真を一枚。全体で70人ほどの行列でした。

本当はお神輿と行列を撮りたかったのですが、カメラを持って参加するわけにもいかず、終了後の記念写真です。どこかで手に入ったら改めてアップロードいたします。

御伴人は、県内の方でしたらどなたでも参加できます。ご興味ある方は土佐神社にお問い合わせください。

朝日新聞の検索避け

ネットサーフィンをしていたら、興味深い記事を見かけました。

朝日新聞の従軍慰安婦関連報道取り消し発表記事英文版に「検索避け」が設定されていたことが話題に

「他人に厳しく自分に甘い世の中になったね」などと冗談めかしてお話することはありますが、まさか社会の公器が実践するとは・・・。

これが事実だとしたら不買運動が起こるのも無理からぬこと。

そしてこれが続報(平成30年8月25日追記)

朝日新聞、慰安婦報道取り下げ英文記事で検索回避の設定 指摘受け解除、「作業漏れ」と説明(産経新聞)

疑惑は深まっていくばかりだ…

レンタルサーバの引越し

昨日から着手していたレンタルサーバの引越しがようやく完了いたしました。

この間、サイトに訪問できない時間もありまして、訪問者のみなさまにはご迷惑をおかけしました。

前よりは表示&処理速度が速くなったはずで、筆もすすむはず・・・

引き続きよろしくおねがい致します。

AI信号機

ある先輩から、市内の信号機の制御がもう少しどうにかならないか、おかげで混雑がひどいし、このままでは環境にも良くないと相談を受けました。

たしかに、朝の北環状線の混雑は、日々悪化しているように感じます。
これは万々あたりに流入する人の数が増加していることが原因のようです。

また、間もなく移転とはいえ雨の前の日赤病院前の大混雑は相当のものです。押しボタン式信号機が距離をおかず二台並んでいるのは、駅周辺の再開発の際に周辺関係者の意見を反映してそのようになったのだと推察されます。二台並んでいることについては経緯があったとしても、なぜ幹線道路の信号機と連動して押しボタン信号が変わるようにしなかったのか、不思議でなりませんでした。

偶然にも某会で公安委員会の方にお会いした際に、連動の件についてお尋ねしてみると、歩行者優先だからというお答えをいただきました。

さて、ますます深まる謎。高知県(市)の信号機は、交差点間で連動・連携した信号制御がそれほど行われていないのではないかと推察いたします。

この件と関連する記事が日経xTECHに掲載されていました。重要交差点と一般交差点にわかれており、重要交差点は交通量を監視しながら手動または自動で制御されているということです。そういえば、市内にはNシステムではないカメラが設置されている通りがあったようですが、あれは信号制御のために設置されていたということでしょう。

もっと効率的に運用する方法がないのかとグーグル先生の力をお借りしていたら、下記の記事に行き当たりました。

「AI信号機」導入で交通渋滞を大幅緩和 – 米ピッツバーグの実験
AIを信号機に活用する実験が始まっている!渋滞しない未来は手に入るのか?

各々の信号機に、センサーやカメラを設置し、収集されたデータから各々の信号機が最適な信号制御を行うというもの。重要交差点が集中処理なのに対してAI信号制御は分散型です。全体を一つのシステムで集中処理すると大変だから、個々で情報収集をして状況に応じた最適解を個々に判断させるということですね。完全な独立ではなく、周辺の信号機と緩やかに連携しているのではないでしょうか。

導入されれば、信号待ちする車のないレーンの信号機が青になるところをぼーっと眺めるようなことも無くなるかもしれません。

ちなみに日本のAI信号制御の取り組みは研究段階にあるようです。
最近信号機もLED化されたばかりですから、追加装備ぐらいでAI信号制御できるようになると、費用も工事期間も省けてよいのですが。

他県のどこかの研究機関が完成させるのを待たなければならないということもないでしょう。果たして本県の大学や研究機関では取り組めないことなのでしょうか?社会実装に向けてネジを巻いていきたいですね。

5月27日海洋会慰霊祭

いまさらながらといいますか、記事にしようと思いつつも手を付けられなかった海洋会慰霊祭について。

海洋会とは旧帝国海軍時代の戦死者、出身者の物故者の顕彰、慰霊を目的に作られた組織とお聞きしております。偕行会はその旧帝国陸軍版です。

5月27日、護国神社の境内に設けられた慰霊塔前にて、旧海軍出身者を交えて、慰霊祭が厳かに催行されました。

その日は、生憎と関係イベントが重なっていたため、普段よく目にするメンバーを会場にてお見かけできず。参加者は15名程度で、海軍出身者は皆旧軍の制服を着用しておりました。

会場のBGMとして日本海軍喇叭(ラッパ)の解説集がながされていました。たくさんの演奏パターンがあって、初めて聞いた人には違いがわかりそうもありません。さすが出身者と言うべきか、そのラッパ音を聞きながら、それぞれの人が太平洋上での思い出話に花を咲かせておりました。

印象深かったお話の一つ。

大型艦に搭載された水上偵察機は、限られた甲板面積の中で運用するために蒸気カタパルトによる射出が行われていました。着水はどのように行われるのか?フロートを付けているでしょうから、水面に突き刺さることもなく、また弾かれることもない絶妙な進入角度と速度でもって滑るように着水するのだろうと推測されます。

出席者によれば、波の多少のうねりも着水には大敵とのこと。よく偵察機が沈没してしまうことがあったとのことでした。そこで波対策として艦を旋回させ同心円を描きます。するとその円の内側は波が静まり返るとのこと。偵察機のパイロットはその技量を尽くし波の影響の低い円の内側に着水するよう操縦します。

仰っている意味はわかるのですが、波を強制的に凪の状態に持ち込んで、その狭い範囲に偵察機をピンポイントで着水させるといった曲芸的な響きを帯びた話は、自身の目で見てみないと俄には信じがたいものがありますね。

さてお話をもとに戻しますと、この5月27日は慰霊祭の日であるとともに、海洋会会長古谷俊夫さん(今回で引退)の誕生日でした。偶然とはいえすごいことですね。そしてかつて、ロシアのバルチック艦隊を撃破した日を記念して制定された海軍記念日でした。

今年の5月27日は過ぎ去ってしまいましたが、また来年この日を迎えるに際しては、この国を護るために力を尽くした方々に思いを致し、感謝と哀悼の誠を捧げていただきたくお願い申し上げます。

bluetooth オーディオレシーバ

今日は堅くないお話で。私の愛車のプリウスは、多分平成14年ごろのモデルで、私の手元に来てからも少なくとも11年は経過しております。旧世代ではありますがトヨタのクラグシップモデルというだけはあって、走行性能は高く普段使いには快適そのものです。しかしこのモデル特有のネックが無いわけではありません。20系プリウスの準正カーナビは、ハイブリッドシステムと一体不可分となっており、そのため他社のナビや車載オーディオ機器の追加を難しくしています。追加できないことはないが、屋上屋を重ねることになりかっこ悪いし費用が嵩む。

私はこの仕様には何度も泣かされました(T ^ T)もし最新の車載オーディオ機器が搭載されていれば、iPhoneのBluetooth通信を使って、簡単にiPhoneに保存された楽曲の再生ができます。それが素直にできないとなると、一工夫が必要です。私が採用した解決策は、純正ナビのビデオ入力に音声のみを入力させる方法です。下の画像は、左側後部座席ドア付近に備え付けられた外部入力端子接続部です。青のコネクタがそのビデオ入力部分

しかしこれですと、iPhone側の接続がステレオミニプラグに限定されてしまいます。車に乗るたびにステレオミニプラグを差し込むのは面倒です。そこで購入したのが、標記のBluetoothオーディオレシーバーです。

これで、iPhoneのBluetooth通信をONにさえしておけば、ケーブル接続の手間なく音楽を再生させることができます。しかも1,600円程度と安い。需要があるのか不明な記事ですが、技術的解決に至り嬉しくて書いてしまいました笑

平成30年度北街・南街防災実行委員会

平成30年度北街・南街防災実行委員会総会及び講演会が開催されました。

講演の部では、講師として千葉県より村山和彦先生がお越しくださいました。

被災後の復興をいかに迅速にすすめるか、そのために事前復興がいかに重要かについてお話くださいました。

特に下水を念頭に置いた排水計画の話は、喫緊の課題と感じました。

理容組合運動会

今日は高知市大原町のよさこいドームにて開催された理容組合高知支部大運動会に参加しました。

このシーズン、現職は委員会視察等で朝イチに挨拶する時間しか取れません。しかし現在の私の身の上は、比較的自由に予定を立てられる身なので、お昼までフルで運動会を楽しみました。

参加すると不思議なもので、日頃の煩わしいことをすっかり忘れてしまい、心底楽しく走り回ってしまいます。

企画・運営くださった理容組合の役員の皆様、誠にありがとうございました。

廣井勇を顕彰する会

5月14日は、土佐の佐川町が生んだ近代土木の先駆者、『廣井勇(いさみ)を顕彰する会』および設立記念シンポジウムに出席しました。

シンポジウムの講師として招かれた古川勝三氏からは、教育者ということもあって、お話が大変上手で胸の熱くなる素晴らしいお話を拝聴することができました。

廣井勇は、1862年9月2日、佐川村内原の没落武士の長男として生まれました。明治維新によって武士の時代が終わりを告げると、極貧生活を余儀なくされます。彼が10歳の時、家を訪ねてきた叔父に、東京で勉強させて欲しいと懇願します。彼の固い決意と熱意に動かされた叔父と家族は上京を認めました。この時、姉が別れ際に「お前も侍の子です。『もし学ならずんば、死すとも帰らず』の気概を持ちなさい」と言ったそうです。

叔父の片岡家で玄関番を命じられた勇は、その仕事の傍、必死に勉強を重ねました。12歳で最難関の東京外国語大学の英語科に入学を果たしましたが、その後に工部大学校予科に転学。しかし、授業料が有償となることを受けて、無償で勉学に励むことのできる札幌農学校に転校します。片岡家に負担をかけたくないとの思いからとのこと。

札幌農学校といえば、少年よ大志を抱け で有名なクラーク博士ですが、古川氏によると、クラーク博士は半年の在任期間で大したことはしていないが、ひとつだけ功績があって、それは、教頭にウィリアム・ホィーラーを置いたことだそうです。勇はキリスト教の洗礼を受けますが、農学校の同期の中にはキリスト教思想家で有名な内村鑑三がいました。彼をして、『一時は、私が今日おるべき地位(伝道師)に君が立つのではあるまいか』と言わしめるほどキリスト教に熱心で、その契機を与えたのはホィーラーでした。廣井は伝道師ではなく、土木工学を通して、当時貧しかった日本を富ますこと、『世俗の事業に従事しながらいかに天国のために働くか』と考えていたのであり、キリスト教が彼の人格形成、またその後の人生に与えた影響は計り知れないものがありました。

19歳に農学校を卒業後、北海道開拓使に勤務、一年で開拓使が廃止となると、東京生活を余儀なくされます。アメリカに渡航し、土木工学を極めたいとの思いが募り、渡航費用捻出のために極貧生活に突入します。無駄な買い物や付き合い酒を控え、周囲は彼を守銭奴と呼んだほどとのこと。勇は、先輩方を差し置いて国費で渡航したいと言えなかったようです。

2年後の1883年に、念願のアメリカ4年、ドイツ2年の海外渡航に出発しました。留学先のアメリカでは、滞在費用を稼ぐために土木の現場に入ります。そこで働く傍、彼により英語で執筆された『プレート・ガーター建設法』は、出版されると当時アメリカ建設技術者の必携本とされるまで人気を集めました。

帰国後の1889年、母校の札幌農学校教授として迎えられます。この時彼は27歳でした。教鞭を振るうかたわら、彼は北海道庁の技師を兼任し、彼の設計・指導の下、小樽港の整備に携わります。北国の海はとても荒々しく、非常な難工事となったそうです。度重なる暴風雨により、コンクリートブロックはたびたび飛ばされ、その上日露戦争の煽りを受けて工事予算は縮減されます。しかし、廣井勇はこれらの障害を乗り越えて、築港から100年経った今でも機能する堤防を築きました。

常に第一線に立つ廣井勇の人物をよく物語エピソードがあります。小樽が大きな嵐に襲われた際、巨費を投じたクレーンが大波によってさらわれることのないよう、廣井勇は荒波を前に夜を徹して祈ったそうです。翌朝駆けつけた作業員たちが目にしたものは、凍りついたカッパを着て祈り続ける廣井の姿でした。万が一のことが起こった時には、彼は責任をとって堤防とともに死する覚悟でした。

また、廣井は「費用に余裕があるならば、その資金で工事を一層完璧なものにしていただきたい」と一切の心付けを受け取りませんでした。大学での自身の特許や発明についても、リベートを一切とりませんでした。

ことほど左様に、彼の事業の功績は数多ありますが、最も讃えられるべき功績は、優れた門弟を世に送り出したことです。東京帝大の講義では、遅刻者が出ると怒りで顔を真っ赤にして指導を行い、講義にならなかったとのこと。彼の情熱にほだされた生徒の中には、台湾の烏山頭ダム建設に一身を捧げた八田與一、小樽堤防を完成させた伊藤長一郎、パナマ運河構築に参画した青山士、鴨緑江に水豊ダムを建設した久保田豊らがおり、その人脈を廣井山脈と呼んだそうです。

1928年10月1日、廣井は67年の生涯に幕を下ろしました。内村鑑三は、葬儀の弔辞で「君の堅実な信仰は、多くの強固なる橋梁、安全なる港に現れています。しかし、廣井君の事業やりも廣井君自身が偉かったのであります。君自身は君の工学以上でありました。」と述べました。

高知の佐川に、明治の日本、土木の近代化の中核をお支えくださった先人がいらっしゃったことを知りませんでした。不明であったことを恥ずかしく思うとともに廣井勇氏の偉業に触れられたこと、その機会を下さった本会に心より感謝申し上げます。

当面は、氏の功績を讃えて銅像もしくは胸像を佐川町に建立するべく、本会は活動するとのことですが、その次のステージとして、彼をはじめとして土木工学の発展に尽力した人々の偉業に触れることを通じて、人材育成にも力を注ぐとのことです。偉人の顕彰を通した人材育成は、自身の政治家としてのライフワークでもあります。微力ではありますがお手伝いできれば幸甚と考えております。

廣井勇を顕彰する会HP

https://www.hiroi-isami.com

学生さんの発表

平成30年度 仁淀川・物部川総合水防演習

昨日の13日は、物部川河川敷で開催された総合水防演習を見学に行ってきました。

沢山の関係者を前に、水害発生を想定した訓練が迅速かつ正確に行われていました。不測の事態の連続である災害発生時にこそ、冷静沈着な判断と迅速な行動が不可欠であり、それを可能とするものは日頃の積み重ねに他なりません。激しい雨で肌寒く、まるでその日がやってきたかのような環境の中、懸命に演習に取り組む関係各位に、感謝と敬意の念を深く致しました。ありがとうございます。演習以外にも、水防・防災に関わる関係者のブースが設置されていました。自衛隊の車輌展示、建設業協会の河川のエリア別企業担当マップ、NTTドコモの災害時の取組み、警察のボートなどなど。写真は警察のボートです。正式名称は確認しておりません。なぜスクリューや水噴射を推進力にしていないかというと、河川や海の中に漂流物等があっても、推進できるようにするためとのことでした。エンジンを剥き出しのまま搭載している姿は圧巻です。エンジンの重みで重心がやや後方にあることから、船体の起き上がりを抑えるために船底の前方が後方に比べて厚さを抑えているそうです。この写真は、地方整備局が用意した降雨車です。激しい雨の中の、改めて雨合羽を着込んで、わざわざ降雨車の雨に打たれに入る様は一見シュールさを感じさせます。しかし侮るなかれ、きっと本車の再現する激雨は、当日会場を覆っていたものとは比較にならないのでしょう。もう一つ、私が楽しんだブースがありましたが、写真を撮り忘れてしまいました。ロープの結び方についてレクチャーくださるブースです。土佐(トラック)結びや、もやい結びなど勉強してみたかったことが学べて大変充実したひと時でした。帰り際には案の定、結び方を忘れかけていましたが、会場配布品の中に練習用ロープと結び方の本がありましたので、将来にわたって安心です笑。おまけ