かつて西行法師は、伊勢神宮を訪ね次の歌を残されました。
『何ごとの おわしますかは知らねども かたじけなさに涙こぼるる』
伊勢神宮を訪ねられた人の多くが抱くであろう感覚を見事に詠みあげています。
私は二回目の伊勢訪問ではありましたが、伊勢神宮の素晴らしさは全く色褪せることはありませんでした。
下記の写真は、第62回伊勢神宮遷宮お白石持ち行事にて奉曳車の牽引をしているところです。
私も同じ姿格好をして麻縄を手に、掛け声と共に街を練り歩きました。
そのあと境内で身を清めた後に、これまた丹念に清められたお白石を受け取ります。布で包み込むように持ち、厳粛に参道を進みます。
天照大御神がお遷りになられる新宮はすでに完成しておりますので、その周囲の好きな場所にお白石を願い事と共に据えます。
この儀式が持統天皇4年の西暦690年から20年ごとに、ほぼその様式を変えることなく脈々と受け継がれ繰り返されていることに深く感銘いたしました。二十年後も必ず参加したいと思います。次回参加ご希望の方は19年後の年初に私までご連絡くださいませ。
某先輩議員から渡された「三島由紀夫の総合研究」なる資料を帰りのバスの中で読みました。
その中の論考 三島由紀夫著 英霊の聲 にいたく琴線に触れる文面がありましたので紹介いたします。
「またこの『神風特別攻撃隊』の末尾には実際に特攻隊として出撃散華した英霊の多くの遺書が紹介され……(中略)……山口少尉の遺書には、前半部分で為政者に対する批判の言葉が並んでいるが、結局山口少尉はこう結論づける。
しかし私は国体を信じ愛し美しいものと思うがゆえに、政治家や統帥の輔弼者たちの命を奉じます。じつに日本の国体は美しいものです。古典そのものよりも、神代の有無よりも、私はそれを信じてきた祖先たちの純真そのものの歴史のすがたを愛します。美しいと思います。国体とは祖先たちの一番美しかったものの蓄積です。実在では、我が国民の最善至高なるものが皇室だと信じます。私はその美しく尊いものを、身をもって守ることを光栄としなければなりません。
そして出撃前の山口少尉の辞世は、
『名をも身をもさらに惜しまずもののふは 守り果さむ大和島根を』
である。山口少尉はそのとき二十三歳であった。」
私が伊勢神宮のご奉仕を通して触れたものも、政治家として守り通そうとしているものもこの国体に他なりません。