いまさらながらといいますか、記事にしようと思いつつも手を付けられなかった海洋会慰霊祭について。
海洋会とは旧帝国海軍時代の戦死者、出身者の物故者の顕彰、慰霊を目的に作られた組織とお聞きしております。偕行会はその旧帝国陸軍版です。
5月27日、護国神社の境内に設けられた慰霊塔前にて、旧海軍出身者を交えて、慰霊祭が厳かに催行されました。
その日は、生憎と関係イベントが重なっていたため、普段よく目にするメンバーを会場にてお見かけできず。参加者は15名程度で、海軍出身者は皆旧軍の制服を着用しておりました。
会場のBGMとして日本海軍喇叭(ラッパ)の解説集がながされていました。たくさんの演奏パターンがあって、初めて聞いた人には違いがわかりそうもありません。さすが出身者と言うべきか、そのラッパ音を聞きながら、それぞれの人が太平洋上での思い出話に花を咲かせておりました。
印象深かったお話の一つ。
大型艦に搭載された水上偵察機は、限られた甲板面積の中で運用するために蒸気カタパルトによる射出が行われていました。着水はどのように行われるのか?フロートを付けているでしょうから、水面に突き刺さることもなく、また弾かれることもない絶妙な進入角度と速度でもって滑るように着水するのだろうと推測されます。
出席者によれば、波の多少のうねりも着水には大敵とのこと。よく偵察機が沈没してしまうことがあったとのことでした。そこで波対策として艦を旋回させ同心円を描きます。するとその円の内側は波が静まり返るとのこと。偵察機のパイロットはその技量を尽くし波の影響の低い円の内側に着水するよう操縦します。
仰っている意味はわかるのですが、波を強制的に凪の状態に持ち込んで、その狭い範囲に偵察機をピンポイントで着水させるといった曲芸的な響きを帯びた話は、自身の目で見てみないと俄には信じがたいものがありますね。
さてお話をもとに戻しますと、この5月27日は慰霊祭の日であるとともに、海洋会会長古谷俊夫さん(今回で引退)の誕生日でした。偶然とはいえすごいことですね。そしてかつて、ロシアのバルチック艦隊を撃破した日を記念して制定された海軍記念日でした。
今年の5月27日は過ぎ去ってしまいましたが、また来年この日を迎えるに際しては、この国を護るために力を尽くした方々に思いを致し、感謝と哀悼の誠を捧げていただきたくお願い申し上げます。