東北視察@南海地震対策再検討特別委員会その2

すっかり時間が空いてしまいましたけれども、前回の投稿の締めくくり方があのようにしたかいもありまして、今日の続編のモチベに繋がったわけでございます。

前回の記事で書きましたように、東日本大震災後の復興復旧状況を視察するべく沿岸部の大槌町や陸前高田市を訪問いたしました。
震災後一年半近く経過したにも関わらず、市街地は写真のような有様です。

写真には加えていませんが、大槌町には明治時代に設置された津波を警告する石碑がございました。今回の津波もその石碑のすぐ近くまで来ていたということで、災害に対する危機意識を世代を超えて伝え続けることの難しさも痛感いたしました。

さて本題に移りたいと思います。なぜ一年半たった今も市街地の復興が進んでいないのかということについて・・・

まず基礎自治体の庁舎そのものが津波被害に遭遇し、多くの職員が尊い命を失ってしまったこと。先方からも事前対策として役場が被災しないことは非常に非常に重要である旨のアドバイスをいただきました。その後の救命救助、復興・復旧において中心的な役割を果たすわけですから。

次に通常かつ正当な手続きに則って復興・復旧を進めようとしていること。今回のような大規模災害では国が主導してしっかり介入していくべきなのですが、その根拠となる法律・手続きを定めたものがありません。このあたりがしっかりしていれば政局も絡みようがなかったと思います。
地元に復興計画を策定するよう指示を出していますが、地方自治体の限られたマンパワーでは限界があります。大槌町では140名の町職員のうち町長を含む40名が尊い命を失いました。そのような状況において、復旧業務、平常業務、さらにその上で町全体の復興計画の策定などとても対応しきれないだろうことは容易に想像がつきます。方々の自治体から職員派遣の協力を受けてなんとか平常業務をこなしてはいますが、復興計画については結局のことろUR都市機構が絵を描いているそうです。

最後は合意形成の難航。訪問した両自治体ではすでにおおまかな復興計画を完成させておりますが、住民説明会やその後の地権者の同意に大変苦労しています。高台移転や盛土を行って災害に強い街づくりにする、この総論には誰も反対しませんが、いざ自分の敷地の割り当てが盛土上となると高台以外は嫌だといった各論反対が生じています。さらには住民説明会を開催してもすべての住民が積極的に参加するわけではありません。いざ計画を進めるとなるとそんなことは聞いていないなどと説明会不参加者からお叱りを受け、そこで計画が遅滞するそうです。

さて、このような状況ですので特に気になるのが人口の流出状況とそのことと最も関係の深い雇用の状況についていです。
先方に本件について質問を行いますとやはり3割程度の人口流出が認められるとのこと。実際にはもっと流出しているのだろうと思います。特に働き口を求める若い人から流出しやすい傾向が 認められます。
一方雇用の状況はといいますと、瓦礫処理などの仕事はあるものの中々雇用には繋がらないとのこと。 働ける人は多くいるのですが、期間雇用の瓦礫処理に従事するくらいならば、保険が切れるようなことはせず金額は低かろうとも雇用保険をもらい続けたいと考える人がほとんどとのことです。委員会のあるメンバーは、これからさらに2年も3年も特別措置で雇用保険 をもらい続けるとすれば、その後にもう一度働きはじめるだけの気力は残らないだろうね、と言っていましたが私もさもありなんと思いました。もちろん行政側の制度設計でこのような事態はある程度回避できるのかもしれませんが、それはそれとしてその利己的な選択が巡り巡って自らの首を絞めてしまうことについて思いを馳せて頂きたいです(すべての方が該当するわけではないです)。
さらに輪をかけて悪いことに、このような状況においては将来の絵も描けず出生率が激減しているとのことです。先方が仰るのには、近い将来には学校運営が成り立たなくなるかもしれないとのこと。これは由々しき事態です。これからそれなりの復興状況に至るには少なくとも3年は要するわけですから、そのときにどれだけの人が街に残っているのか、そしていま復興に参画するといっている大手企業が3年後も同じ思いかどうかを考えた時、不安を感じずにはいられません。

さて、以上の視察から得られた教訓をもとに何を考えどう活かすかですが、これについては9月定例会の予算委員会の質問にしっかりと反映していきたいと考えておりますので、お時間ある方はぜひ傍聴にお越しくだしませ。