遅れ馳せながら、世間を騒がせた靖国神社宮司発言についてコメント。
詳細については、コチラ(産経ニュース) を参照いただきたい。
宮司発言の引用
「陛下が一生懸命、慰霊の旅をすればするほど靖国神社は遠ざかっていくんだよ。そう思わん? どこを慰霊の旅で訪れようが、そこには御霊はないだろう? 遺骨はあっても。違う? そういうことを真剣に議論し、結論をもち、発表をすることが重要やと言ってるの。はっきり言えば、今上陛下は靖国神社を潰そうとしてるんだよ。わかるか?」
「(今上天皇が)御在位中に一度も親拝なさらなかったら、今の皇太子さんが新帝に就かれて参拝されるか? 新しく皇后になる彼女は神社神道大嫌いだよ。来るか?皇太子さまはそれに輪をかけてきますよ。どういうふうになるのか僕も予測できない。少なくとも温かくなることはない。靖国さんに対して」
まず、靖国神社宮司の発言として許容されるものではない。このことはまず明らかにしておきたい。辞任は当然のことであろう。
次に、今上陛下在位中についに御親拝が実現できなかった(できないだろう)ことは、将来の御親拝の実現の可能性も含めて考えた場合、大変憂慮すべき事態である。この点については宮司に共感できる。近い将来に政治的に解決すべき問題であると認識している。
以上、大まかではあるが本問題に関する私の所感である。
しかし、私が書く以上、話をこれだけで済ませるつもりはない。この問題に関連して識者と言われている人々の記事を読むと、とんでもないミスリードを狙った記事が散見される。あまりにもひどいので反論しておきたい。これが本旨である。
左派系と目される人々が言うのには、富田メモを引き合いに出して、昭和天皇は、1978年にA級戦犯が靖国神社に合祀されたから御親拝をやめられたし、今上陛下もそのことを気にされて御親拝されないのだそうだ。これこそ天皇陛下の名を借りた靖国神社解体行為であり、とどのつまり国家破壊行為と言うべきであろう。許すまじ。
まずA・B・C級戦犯のくくりの勉強からしっかりやり直してほしい。大東亜戦争後の軍事裁判において、勝者によって勝者の言うところの戦争犯罪者を、それぞれ罪の種類に分けて裁いたものだ。法の不遡及を犯したケースもあり、そもそも極東軍事裁判など政治ショーにすぎないと指摘する声もある。サンフランシスコ講和条約(関連議論)を締結した以上、判決の是非ついての議論を控えたとしても、1953年衆議院において、「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」が共産党を含む全会一致で可決され、国内的にはABC問わず全面赦免されている。当時の国民も政治家もこれを歓迎しており、その事実ひとつを取っても件の軍事裁判が我が国においてどのように捉えられていたかよくわかる。
この大前提がわかっていたら、「A級がどうだから・・・」といって昭和天皇が、英霊の眠る靖国神社への御親拝を控えられるわけがないとの結論に至るはずだ。
富田メモ?そんなもの私だって書ける(笑)
もう一つ。時系列で当時起きた出来事を追いかけて考えても、御親拝とりやめの理由が別にあることがわかる。
最初に靖国神社を参拝した総理大臣は三木武夫首相(1975年夏)である。この際に、私的参拝4条件(公用車不使用、玉串料を私費で支出、肩書きを付けない、公職者を随行させない)を掲げ、「私人」としての参拝を行った。
このことが天皇陛下の御親拝に飛び火したと考えるのが順当であろう。日本国憲法上、天皇陛下はどのような場合も公人である。さらに公職者(警備)を随行させない御親拝などできうるはずもない。事実、同年の秋、8度目を最後に、靖国神社の御親拝を控えられている。(その後は勅使を遣わされています)
それから3年後の1978年にA級戦犯が合祀され、1979年4月に報道によってその事実が明るみとなった。御親拝を控えられてから3年経過していることを考えれば、合祀と取り止めの理由が関係しているとするのは無理があろう。
A級合祀が・・・などと虚妄記事を垂れ流すのは即刻止めていただきたい。